今週の日曜日、は4回目の「墨ぶら」こと、墨田ぶらり下町音楽祭だった。
天真庵を押上に結んだのが2007年4月。その年に、かよちゃん(ぶらりの中心人物)がぶらりと天真庵にやってきた。「ここでバロック音楽のライブをやりたい」とのこと。まだピアノがなかったので、チェンバロをテラスから持ち込み、かよちゃんのオーボエで、演奏した。
小さなうらぶれた建物に、バロック音楽が鳴り始めると、あたかもヨーロッパの教会や宮廷にいるような雰囲気につつまれた。
翌年の4月に天真庵の一周年のお祝いにと、親友のワカこと吉若徹さんが荒武くんという若手で元気なジャズピアニストを連れてきて、ジャズライブをやった。その縁で、近所の人が「うちの母がつかっていたピアノでよかったらあげます」ということで、カイザーのピアノがやってきた。それにつられるかのように、いろいろなジャンルの音楽家たちが、集まってきて、いろいろなコンサートをやることになった。
そして春には「クラシック」、秋には、「ジャズ」をお祭りのようにやることがならわしになった。
そして、この「ぶらり」は昨年から南千住にも飛び火した。
街は生き物だと思うことがある。シャッター通りに音楽が鳴るだけで、生き帰ることがあるし、空気がかわってくる。細い男根みたな無茶しぃ(634)がたっただけで、東京が西から東に移動しそうな感じがしたり。でも、トレンドにながされて、生きていると右往左往するだけで、自分の座る場所を見つけることもできない。
人も街もお店や会社も「存在の理由」がはっきりしていたほうが、居心地がいい。
天真庵のトイレには、南條先生が描いた寒山拾得の絵が飾ってあり、「居」という字が書いてある。「居」「Here Now!」、今、ここに居る、その存在そのもの、出会いという瞬間瞬間の刹那に感謝しながら、生きていくこころ。この精神が静かに広がっていくと、世界は変わると思う。
感謝・野村