はやいもので、今年も折り返し地点を過ぎて、あと半分。
「今人生のどの地点」かは、神さましか知らないけれど、中仕切りはとうに過ぎているように思う。まあ、明日が千秋楽になっても悔いのないように、今日を大事にしたいと思う今日このごろ。やはり、毎日が一生であり、日々是好日、でありたいと思う。
「チルチンびと」という雑誌(季刊誌)がある。「住まいは生き方」というようなタイトルがついている雑誌。前々回は、天真庵を改装してくれた芸大の建築出身の 名西くんが大きく取り上げられた。うちに遊びにきて知人になった人たちが紹介されることも、少なくない。
まだメジャーな本ではない?けど、必ず買う本の一冊。
今本屋に並んでいるのが「古き美を愛おしむ暮らし」という副題。
その冒頭の8ページに、「好日居」が紹介された。主人の横山晴美さんとは、不思議な縁で知り合って、仲良くさせてもらっている。
横山さんが最初に天真庵にやってきたのは、3年前の夏だったと思う。「京都の夏は暑いのでかなわないから、天真庵の二階でお茶会やらせてもらいませんか?」ということで、売茶翁(ばいさおう)のように、茶道具をひとかかえにして、クーラーのない、しかも天井をとって暑い暑い天真庵の二階で、茶会をやったことがある。
「岩茶」という中国茶の最高峰のお茶を10人くらいで楽しんだ。そんな「小さなお茶会」が縁で、いろいろな人が上洛する折に、岡崎の「好日居」を訪ねる。ワカも旅立つ半年前、最後の京都旅行の時、松尾大社にお参りした後に、好日居に寄ってくれた。お茶はやっぱり一期一会を教えてくれる。それがわかると、何事にも「感謝」したくなる。
大正時代に建てられた家を、うまいこと、今の時代に蘇らせた。詳しくは雑誌を・・
昨日あたりから、、突然真夏日になった。
天真庵の扉が、6年目に入ったこともあり、かなり重くなった。
近くにあるカレーの名店spice cafeのシエフのおやじさん、「いさむさん」(建具やの匠)に頼んで、そりをなおしてもらったら、自動ドアのように軽くなった。彼には、珈琲専用の石臼の台などもお願いしたことがある。ぼくらの仕事も「道具」が大切だ。道具は、一生ものだから、道を具えているものを使いたいと、つくづく思う。「木」は腐るけど、使い方しだいで、どうにでもなる。
「木」でつくった家は生きているし、それを生かすと、ますますいきいきとしてくる。
ついで、といったら匠に悪いけど、カウンターの檜のまさめの端っこに穴をひとつあけてもらった。
先月から始まった「卒啄(そったく)珈琲塾」で使う、サイフォンのロートをさす穴。昔の喫茶店には、よくサイフォンをおいてあった。きまって、そんなお店は美人のママがいた。
人は「ミス サイフォン」とひそかにいったりした?
卒啄珈琲塾は、女性の受講者が多い。いや正確には、全員女性。
反対に「花のお稽古」は、男性が多い。ま、これが普通だったりして。
世の中混沌としてきたけど、視点を変えれば、おもしろいことがいっぱいあるし、日本人に生まれてきてよかったと再確認することも多い。
界隈も634(むちゃしぃ)が、懐かしい未来みたいな街を照らし始めた。
新しくも古くもなく、いいものは、どんな時代がきても、いい。そんな「いい」ものや、「いい」人と、ふれあっていきたいと、しみじみ思う。
却下照顧。自分の足元を照らしながら、一歩一歩、ゆっくりと歩いていきたい。
感謝・野村拝