2012/09/05(846) 『今年のカレンダーも残り4枚になった。 ・・・ 』

今年のカレンダーも残り4枚になった。

まだまだ残暑がきびしく、個人のみならず会社や国の財布や通帳の残高もきびしい状態ですが、最終的には、気のおけない仲間たちと、原始的なぶつぶつ交換や、分かち合いをしながら、元気ややさしさを広げていきながら、楽しく生きていけらばいいと思っている。

いろいろなことを受け入れていかねばならない時代。

3日に56歳になった。24歳の厄年に骨肉腫になり、死刑宣告をされたので、「おまけ」のようにありがたく生かされているこに感謝しながら生きてきたけど、ずいぶん大きなおまけを頂戴したもんだ。

約30年、毎年最低2回、車で九州まで帰る。

30年前は、今より30歳も若かったので、帰る時に近くの薬局で眠気覚ましの「モカ」なる危うげなドリンクを買って、若さにまかせて、つっぱしって帰っていた。でも当時は中国自動車道が対面だったので、岡山から広島あたりが、もたもたしながら走った。冷房が壊れたオンボロ車で帰っていたので、トンネルの中がつらかった思い出がある。でも若いというのは、苦しい字に似てるわ、ではないが、今ではいい思い出。

ギャラリーをはじめてからは、陶芸家や骨董屋や、珈琲屋や、染色家や・・・いろいろな知人の家に立ち寄りながら帰るようになった。ロハス、ではないけど、ゆっくり時間をかけて旅ができる 余裕みたいなものができた。オンボロ車が「ボロボ」のワゴンに変わり、元気(チワワ)が旅の道ずれになり、宿が見つからないない時は、車の後ろで寝ながらの牧水的放浪旅。「夜逃げみたいな里帰り」と言っていた。

最近は、寄る年波旅か?また福岡の両親が80を超え、お墓がある宮崎までいくのがおっくうになってきたので、大阪から船で鹿児島の志布志までいき、延岡までいって墓参りをした後、大分か熊本経由で福岡へかえる、というコースがならわしになりつつある。

今年は古事記が編纂されて1300年。国ができるきっかけになった神々が生きたり死んだりした場所をめぐる南九州の旅は、たいへんおもしろい。

幼いころ、夏休みに宮崎にいくには、小倉から急行フェニックスにのって5時間くらいかかっていた。

子供の時間でいえば、その3倍くらに感じた。高速道路ができて、今では4時間くらいでいける。

飛行機をつかえば、東京から宮崎まで2時間くらいでいける。

でも、あれでいくと、点と点を結ぶような、朝した焙煎の香りを残したまま宮崎に到着、みたいな味気なさがある。やはり人生みたいに、のぼり坂、下り坂、まさかの坂を経験しながら、いろいろな景色や人や風俗にふれあいながら、旅するほうが、時間はかかるが、満足度が違うと思う。

のぼり坂 下り坂は、人生の経験によってなんとなかるけど、「まさかの坂」を超えられるかどうかは、普段の生活態度や人間力が問題になるらしい。ほんとうに♪越すにに越せない「まさかの坂」

帰りも3泊しながら東京に昨日もどってきた。最後の拠点は、長野の山奥の寒村の宿。

東京が35度の日の朝、うそ(鳥の名)の鳴き声などを聴きながら朝食をとっていると、16度やった。ウソみたい!に快適。

そこの宿で読んだ本に、巌本真理(ヴァイオリン)さんのことが書かれていた。

東京大空襲の日、実家の巣鴨で空襲にあい、家も焼けたのに、大事に焼けないように空襲から守ったヴァイオリン をかかえ、翌日に日比谷音楽堂まで歩いていき、コンサートをやった、という伝説の音楽家。

しかも、着るものが燃えたので、お父様のズボンをはいたいったらしい。それに、そんな「まさかの坂」みたいな翌日に、彼女の演奏を聴きにいった日本人があまたいた、というのが、素晴らしい。

これから、戦時中みたいな世の中になると思うけど、そんな気骨を持っていたいと思う。

8月31日は「ねっと31 ライブ」だった。初アルバムをリリースした国貞雅子がピアノの弾き語りをやってくれた。こころに染みる歌をいっぱい歌ってくれた。

天真庵で7月に大石学さんとやってから、ステージを二段くらいかけあがったような気がする。

次の「ねっと31 ライブ」は10月31日。○必マークを手帳に書き込んでほしい。

今月は大野えりさんがジャズライブをやってくれる。「ルパン3世」のエンディングの歌を歌った歌手。

秋は酒も美味いし、芸術が加わるとなおいっそう美味い。

白玉の葉にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり(若山牧水)牧水は宮崎の延岡生まれ。延岡城あとの公園に歌碑が立っている。

なつかしき 城山の鐘 鳴りいでぬ をさなかりし日 聞きしごとくに

        感謝・野村拝