2012/09/26(849) 『大野えりさんが歌ってくれた。 ・・・ 』

大野えりさんが歌ってくれた。

無駄な縁で繋がれた人たちがやってきて、週末にジャズ祭り。

そもそも、「元気の約束手形シール」をやってくれた山田さんの出身校が名古屋の名大付属で、その同窓会にいって、「天真庵というところの器を作っている久保さんの奥様が、私たちのクラスメートのSさんよ」というところから、巡り巡って、同じ名大付属出身の大野えりさんに白羽の矢がたって、天真庵でやることになった。

またぼくのやってる織田流煎茶道の家元夫人も名大付属。

大野さんが店にきて、開口一番、「セシルはこのお店の近くに住んでいたんですって?」

というので、「隣の隣の隣でした」と答え、「そこのベランダの隣が彼の駐車場でした」 と答えた。ら、「その車にのって水戸にライブにいったのが最後でした」とのこと。

お客さんのリクエストで「橋(ポルトガル語で橋という題名らしい)」を歌ってくれた。十間橋通りを車で右折して、押上駅で待つ彼女を迎えにいくセシルの姿を想像した。

「♪不思議な橋が この街にある 渡った人は帰らない」

そんな悲しい歌が、浅川まきにあったけど、セシルは浅川まきさんはじめ、いろいろな歌手たちと演奏していたんだなあ、とつくづく思う。

お開きの時、同志社時代のいきつけのお店を聞いたら、「○」 と答えたられた。ぼくも同じ時代に京都にいてよくそのお店でジャズを聴いていたのでびっくりした。「からふねやにもよくいったわ」とのこと。ぼくが入れた珈琲を飲んでいたらしい。

昭和50年代は、京都にはいっぱいジャス喫茶があり、街中がカフェみたいな感じだった。

学生時代はセピア色の思い出になりにけり、の感があるけど、その時代に聴いていた音楽、なかでもジャズを聴いていると、まるでその日が昨日みたいに近づいてくることがある。

人、人の「思い」って、ほんとうに不思議なものだ。

    感謝・野村