2012/10/24(853) 『京都から東京に移り住んだ時、 ・・・ 』

京都から東京に移り住んだ時、新宿の不動屋さんにいって、荻窪のマンションを契約した。もう30年近く前の話。

南荻窪という住所だった。そこから毎日市ヶ谷にあった会社に通っていた。こないだ久しぶりに荻窪のライブハウスでジャズを聴いて、そのマンションの場所まで歩いていったら、まだ同じ名前であった。

今夜も中央線沿線のライブハウスにジャズをききにいく予定。

受験で東京にきた時、現役で東京の大学に通う友達が荻窪にあこがれていて(彼は武蔵小金井にいた。)、もしも東京にくるなら荻窪がいい、と力説していたのが、脳裏に焼き付いていた。荻窪といえばラーメンだけど、西あからきた人がみな洗礼を受けるように、濃い色のスープに驚いた。

そして、下町にあこがれ、一年で南砂に引っ越しをした。そこも一年かそこらで、震度5の地震に遭遇し、地盤のいい池袋に引っ越す。

銀座の骨董屋さんから時々ハガキがくる。

こんなのがあった。同窓会にいったら、宮本武蔵の話になって、友達が「宮本武蔵には、子どもがいたんだろうか?」ということになり「ひとりくらいいたのでは」と答えたら、そいつが「むさしこがねい」とつうぶやいた。その骨董屋のオヤジもだいぶ体が弱り、先々週に遊びにいったら看板がでていなかった。昔は「宮本無茶しぃ」といわれたくらいやんちゃだったらしいが、寄る年波という自然には逆らえないらしい。

中央線沿線というのは、最近は人身事故が多いけど、それだけ繊細な人が昔から住んでいるのだろう。

骨董といえば、明日「器をひきとってほしい」という近所のじいちゃんのところへいく予定。昔お店をやっていたらしい。

天真庵というところは、置き忘れたもの、捨てられないものとの御絆が強い磁場が宿る場だとつくづく思う。カウンターの板、足踏みミシン、シンク、古いミルや器・・・どこかで使われていた歴史を、無駄のない縁で引き継いだものがいたるところにある。そしてこの場所で「忘れがたき邂逅」をいくつも重ねながら、不思議な旅が続いている。

今日は今年一番の冷え込みになった。ウィンドブレカーをはおり、うな帽をかぶって朝一時間くらい走ってみた。風は冷たいけど、走ったり、散歩するにはいい季節。

どこまで、走れるのかは神のみぞ知ることだけど、毎日毎日を一生だと思いながら、縁のある人との出会いを感謝しながら通っていきたいものだ。

     感謝・野村拝