あけましておめでとうございます。
年末に年越し蕎麦という行事がある。京都ではみそかに「きらず」(おから)を食べる習慣がある。人と人の「縁」を切らないという縁起。大みそかにそばを食べるのも、そばの「つなぎ」から由来しているらしい。
つなぐ、紡ぐ、結ぶ、というようなことを大事にしてきた日本人の魂がそこにある。
天真庵も押上に結んで、いろいろな縁をいただき、年越し蕎麦も100人以上を打つまでになった。30日に渡したり発送したりした後に、店を掃除して、25年以上そうしているように、車で九州まで帰る。いろいろな寄り道をしながら。
今年の2日に父親が88歳になった。いわゆる米寿。大正14年の1月2日生まれ。
宗像大社に近い玄界灘が見える「達磨」(ぼくの師匠のお店と同じ名前だけど、無関係)という魚料理のお店で親戚有志が集まってお祝いをした。仏教(達磨)も、書も、蕎麦や陶器、いろいろな文化が渡ってきた海のシルクロードと呼ばれる神域ではある。
年末に銀座の骨董屋で昭和を代表する禅僧・朝比奈宗源さんの「寿」(老子が88歳の時に書いた)という額があったので、それをお祝いにした。元気に長生きをする、というのはとてもめでたいことだ。
銀座の骨董屋といえば、「銀座の七不思議」といっていいくらい東大出の不思議な主人がやっている「一楽堂」というお店がある。話好き、人好き、煎茶が大好きで、頼山陽と田能村竹田の書簡で国宝の「一楽帖」からお店の名前をつけた奇人だ。
その主人から年末にハガキがきた。彼も84歳になり、膝に水がたまって今年は
3度手術をした、とあり、最後に「木庵の寿という額が手に入った」と書いてあった。
暮れも押し迫る27日に遊びにいったら、残っていたので、「寿」を天真庵に持ち帰ってきた。
今年の「無茶しぃの会」も、一段と充実してきそうだ。
黄檗宗は隠元和尚が祖で、木庵が二代目。ともに中国人で、ふたりの「書」は、その後の日本人のお手本になった。
禅と書と、精進料理を日本に広げた人である。彼らが伝えた精進料理は、普茶料理という。普く(あまねく)大衆に茶を楽しんでもらう、という意味を持ち、京都の市内や黄檗山界隈には「普茶料理」なるお店が今でも存在する。
今年は、日曜日の営業を16時までにして、月に一度、「普茶料理」を取り入れた「お茶会みたいな普茶会」を計画している。
さっそく13日(日)の18時半からやる。第一回目は、大陸から蕎麦がきた時の「蕎麦の原種」を10割で打って「そばの原点」を味わってみたい。毎年この時期に対馬の友人からおくれれてくる。普茶料理は4人で同じ皿のものをわけて食べる、というのが基本。
会の名前は「なんとなく蕎麦を喰う会」。
今年はみんなが元気のない「日曜日の夜」を、元気に楽しみたい、というのがひとつのテーマ。
「なんとなく蕎麦を喰う会」の前には「蕎麦打ち教室」もやります。「今年こそ」「われこそ」と思うものはぜひ参加されたし。
楽しい悔いのないへび年にしましょうね。
感謝・野村拝