今日は関東では積雪の予想。
向島という花街の近くに天真庵を2007年に結んでから、月に一度お稽古をしてきた「かっぽれ」も、本日は中止。
相変わらず毎朝5時にお店にいって、「びん棒」というのし棒を振り回しながら蕎麦を元気に打って、朝ごはんの後に、手回しの焙煎機をガラガラまわし、その豆を石臼でゆっくり粉にするような規則正しい生活を続けている。粒々皆辛苦の毎日。
休みの日は、その石臼のふるさと、筑波山に登ったり、界隈の温泉につかったり、その後に蕎麦屋で、そば前をやりながら里山の風景を堪能したりするのが、ならわしになっております。
ぼくの珈琲の石臼を作ってくれたおじいちゃんが、一軒の不思議なそばやを紹介してくれた。
そこの主人は、農業試験場で、酒米の原種の「渡り舟」を、10年かけて復活させた伝説の人物。
60歳で定年を迎え、「10年間、その稲のたんぼが見える場所でそばやをやる」という決心をして、そばやを始めた。毎朝、石臼で大豆をひき、自家製の豆腐をつくっている。
だから「そば前」(そばがでてくる前に、飲む酒)は、その豆腐、おから、豆腐の味噌づけなどを酒肴に、「渡り舟」(原種を使った日本酒の原酒)を飲む。季節季節の稲の生育や里山を見ながら飲む昼酒のうまさといったら、他と比べようもなく筆舌がおよばない壺中天みたいな世界だ。
その不思議で元気なおやじが、予定の10年を迎え、今世界一周の旅にでた。
「使わなくなった」といって、彼が同じく自分で種をまいて育てた岩手産の辛み大根をくれた。やはり「原種」らしく、辛さのなかに独特なあまみがあって、土を喰らう次元が他と比べようもなく美味い。先月中旬まで「辛みぶっかけ大根そば」として、天真庵でも人気のメニューになった。
人間の都合で、いろいろな植物や動物が改良されてきたけど、こころの原風景みたいな「原種」というものは、すごく重宝なものやと思う。
縁があって、茨城産の石臼から、原種の旅をしていたら、おいしい豚と縁ができた。
今人気の茨城の「もち豚」のモデルになった鹿児島の黒豚。その中でも純粋黒豚「六白」(ろっぱく)というのは、黒毛に白が六ヶ所ある古来から鹿児島にある貴重な原種。
肉がべとつかず、得に昔から九州人の左党をうならせてきた酒肴の王様「角煮」は、とろとろという表現を超え、「コラーゲンと酒の旅」といった感じのお肉。
先週の木曜日の夕方に角煮をつくりながら、それを酒肴に飲んでいたら、4合瓶の「あらまさ」が空になった。まるで「とのさまにもなった気分」だった。
名前もその時きまった。「豚蕎麦」と書いて「とんさま」。
2月は「味噌つくり」を毎日のようにやっている。池袋時代から10年以上やっている。
今年は生徒が28人になり、ライブも17日の星野彩乃さんのピアノ一回だけ(すごくいいよ)。
大気汚染や放射能や天変地異やわたくしたちの環境が激変している中で、命の元になる「食」を見直そうという原点みたいなものかもしれない。味噌は、身礎(体の基礎)からきているらしい。毎朝の食卓や精進料理や居酒屋の酒肴でも活躍してきた食材の元祖みたいなもんだ。みんなが協力しながら、楽しそうに味噌つくりをしている姿は見ていてもすがすがしいし、明るい日本の未来が垣間見れていい。
今年から日曜日の夜に「蕎麦打ち教室」も始まった。味噌つくりと蕎麦が自分でできるようになったら、なんとかなりそうな気分になる。
明日は、鬼平犯科帳にも時々登場する「押上村の春慶寺」で、30人くらい集まってそば打ち教室をすることになった。そこの住職夫婦には、公私ともにお世話になっているので、小さな恩返しができる。主客が一体になって楽しむ。お茶のこころの原点はこれにつきると思う。
まだまだ途中ではあるけど、少し道筋が見えてきた感がある今日このごろ。
感謝・野村拝