連日いい天気が続く。昨日は山梨では39度になったこもあるみたい。
今日は「ウルトラマンの日」らしい。シュワっと、空を飛べたら・・なんて思いたくなる。
昨日のお昼に、台湾から女性がふたり蕎麦を手繰りにやってこられた。
なんか見たことのある雑誌(TOKYO ART & CULTURE MAP 京阪神エルマガジン社)に付箋紙をはさみ、中国語でなんじゃかんじゃ話ている。
よくよくその雑誌を見ると中国語で書かれていた。中国語版ができた。夫人が「この本だけもってきて6日間、日本の旅をしている」と流暢な英語で教えてくれた。漢字に目を集中すると、「煎茶」「寒山拾得」とかぼくの名前が書かれてある。
「東京晴空塔」という漢字もある。スカイツリーだ。中国語は難しいけど、漢字をもとに話すとこころが通う。
蕎麦を江戸っこよろしくつるっと手繰った後、玉露と煎茶を所望された。
玉露は久保さんの蓋付きの黄瀬戸茶碗で「すすり茶」を二煎。その後、酢醤油で茶葉を食べてもらう。
煎茶も玉露と同じ福岡の星野村産。ほんとうに楽しそうにお茶を飲まれた後、珈琲カップとか、古伊万里のそば猪口とか、煎茶器などの話をした。
5月のホーチミンのジャングルで笹茶を飲んだ時と同じように、アジア人共通のDNAが響きあう瞬間。
こんな矛盾のない茶会で交流ができたら、難かしい外交や政治は必要なくなくなるのではないかと思う。
中国と日本の関係は微妙になっているが、よくよく考えてみると、お茶の文化も器も書も、みんな大陸から伝わってきた。麺文化もそうだ。ラーメンもいまでは日本の国民食みたくなっているけど、もとは中国が元祖だ。
日本のめんのルーツは、奈良時代に伝来した「索餅」(さくべい)。
七夕には必ず登場した。
イケメンやイクメンのDNAも大陸からやってきたカモなんばん。
先月に「ソトコト」という雑誌の取材を受け、7月号をいただいたので読んでいたら、最初にぼくの田舎の海辺の町「津屋崎」がのっていた。津屋崎千軒、といって昔は漁や加工品で栄えた町。そこに都会から若者が集まってきて、カフェをやったり、ものつくりを始めたりしながら、街おこしをやっている様子がのっている。その次に「耶馬渓」ものっていた。
天真庵でお花のお稽古をのぞいたことがある青年が移り住み、農業や林業の研修をしながらフリーペーパーをつくった話がのっていた。心なしか、東京にいた時よりもたくましくなった。
来月の初旬にでる9月号には、天真庵を改装してくれた建築家の中西くんのことが特集される。
いろいろな形で、若者たちを中心とした新しい社会が形成されつつある。
今日明日はお休みだけど、今日は別府からオンパクhttps://www.onpaku.jp/の発起人さんたちがやってきて蕎麦会をやることになった。
明日はスペインから中村徳子さんが帰国し、「声ヨガ」の講習会。
みんながそれぞれのできることを、縁ある土地土地で、無駄のない縁でつながった人たちと伝えあったり、楽しみあったりしていれば、みんながもっともっと輝き、街も人ももっと輝いてくると思う。
まだまだ「一仕事」できそうな場所があるはずだ。がんばろう。
感謝・のむら拝