昨日はドラエモンの誕生日。
自分も同じ日の生まれなので58歳になった。
後で計算したら、ひとつ逆サバを読んでいて、ほんとうはで57歳になったことが判明。
少し得した気分になった。
昭和31年に生まれ、昭和50年に高校を卒業し、末川博先生(京都名誉市民で立命館大学総長)にあこがれ立命館大学の法学部に入り、先生の最後の講演を聞くことができた。
「人生を三分割して、最初の20年は親から育ててもらう、真ん中の20年は自分のために生きる、残りの20年は、人のために生きなさい」というような話が印象的だった。
講演の後下宿に帰る途中、下賀茂神社の糺の森(ただすのもり)近くにあった「からふねや珈琲店」に立ち寄り、モカを頼んだら、主人が丁寧にサイフォンで入れてくれた。
その琥珀色した一滴が人生を変える。
「ぼくを弟子にしてください」と唐突に口からでて、間髪をいれずに「ええで」と返事が返ってきて、気がつけばぼくの「二十歳の原点」(昔、立命館大学の高野悦子さんの日記本で、一世を風靡した本のタイトル)は、唐から渡ってきた舟の中にあったように思う。
二十歳の秋は、本店を任され、京都にいた六年間に六店舗の責任者になっていた。
下賀茂神社の糺の森といえば、お茶の先達がいる。
「売茶翁」(ばいさおう)。京都の黄檗山で禅の修業をし、生まれた佐賀で禅僧として生きていたが、五七歳の時に上洛し、糺の森界隈でお茶を売りながら、池大雅、伊藤若冲、太田垣連月ら文人と交友し、煎茶道を広めていった奇人。
今年没後250年になり、北大路通りの鴨川べりに記念碑がたった。
昨日、現代の女売茶翁みたいな横山さん(京都で、好日居というお茶屋さんを経営する主人)がお店にこられて、そんな話で盛り上がった。
川口葉子さんの新しい本、「京都カフェと洋館アパートメントの銀色物語 」を読むと、好日居と著者とカフェの人たちとのシンクロニシティー(不思議な出会い)がたくさんつづられていて、実におもしろい)。
天真庵も彼女の著書「カフェとうつわの旅」で紹介されたことがある。
奇妙な船旅は続き、大川(隅田川)を渡った向こうの島の近くにある押上まで流れつき、草庵を結び、634Mの細長い男根みたいなんが立ち、そこから「無茶しぃ(634)の会」という煎茶の教室を月に一度やっている。そのお弟子さんのひとりが先日一冊の女性の禅僧の本をくれた。
その中に、「燼」というのがでてきた。
「もえさし」・・・(そのまんま引用)
「私は今日、56歳の誕生日を迎えた。
近頃日本人の寿命ものび、70歳を超えた。自分も70までいけるか?それにしても残りわずか。
人生の70年を1日24時間にあてはめてみた。35歳が正午だ。そうすると56歳は午後7時20分。
ハッとした。
すでに自分の人生は日が暮れてしまっていることを思い知らされた。
大事なところはすでに燃えてしまって、あとわずかな「もえさし」が残っているにすぎない。
うっかりしていると、これさへもすぐ燃え尽きてしまう。
自分は今から、心をあらたにして、「もえさし」の人生を大事にしようと思う。」
一年分得した気分になったけど、「毎日が一生」だという気持ちで、今日も前向きに生きていきたいと思う。
感謝・野村拝