2013/10/10(903) 『 昨日の午後は二階で「お仕覆の会」。・・・ 』

昨日の午後は二階で「お仕覆の会」。

「おしふく」。

そんな日には、不思議な無駄のない縁で繋がっている人がこられる。「むすび」なのだ。

「母がおしふくをやっていました」という画家が遊びにこられた。

昨日は、お仕覆でも、紐、つまり組紐の作り方を勉強した。お仕覆はもともとはお茶、濃茶の棗を入れる袋としてできた、という説がある。

でも日本人は昔から、茶人でなくとも、おめでたい時には、羽織の紐を結び、お土産のものを風呂敷で結び、ご祝儀袋も水引で結んだりしてきた。おかあさんが愛情をこめて つくったごはんを「おむすび」といい、男と女が縁あって結ばれて、できた男の子を「むすこ」 といい、女を「むすめ」というのも同じような言霊。

君が代では♪苔のむすまで、と歌ってきた。

紐の結び方も無数にあり、昔は、たとえば殿様や高貴な方のものに毒がもりこまれないように、普通にはほどけないような方法があったらしい。戦場に赴く武将たちの鎧の紐の結び方は、死神を封じるような呪文のようなものが織り込まれていたらしい。

いろいろと便利な時代になり、大量生産や海外に工場や人間を持っていったあげくのはてが、今のような「閉塞感」はなはだしい時代にいきついてきた。これからは、先人たちが残してくれた「この国にふさわしい生き方」みたいなものがもう一度見直される時代がきっとくると思う。

今日は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」

珈琲もお茶にかわってもてなしの中心におかれるようになった。でもお茶とおんなじように、コンビニや自販やどこでも手に入るくらい、ありがたい、の反対の位地にある。

そこに「手」をひと手間使い、魂を込めて入れる。それをいっしょに味わう。

今ここに居る「居」という小宇宙を共有している刹那を感謝しあう心を学びたい、とつくづく思う。

感謝・野村拝