ついこないだ、「今年もよろしく」なんて挨拶していたと思ったら、今年もあと二か月。
「年越しそば」の注文がはいったりして、少しプレッシャーがかかる季節。今年は「蕎麦打ち名人」を目指す弟子も増え、年末に自分で蕎麦を打つという人も増えているのが、なんとなくてれくさくもあり、うれしくもあり。びん棒を振り回す人の輪が 優美に広がっていく「長屋世界」。
うれしい、といえば、論語に「友の遠方より来るあり またうれしからずや」というのがある。先月宗像(むなかた・と呼ぶ)高校時代の親友がひょっこり上京しお店にきた。
なにせ40年ぶりなので、最初はわからなかった。酒を一合飲む間に10年ぶんの話をし、 4合飲んで、お互いの40年を語った。白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり、という酒の味が年をとればとるほどわかってくる、というか酒が美味くなってくる。
自分の「一期(いちご)」は、どのくらいなのか神のみぞ知るだけど、その中でいろいろな「一会(いちえ)」 があり、そこから悲喜こもごもの物語が綴られ、愛したり、恨んだり、憎んだり、笑ったりしながら、川が流れるように、さらさらと流れていく。
そんな自然な来し方行く末などを語りながら飲む酒は格別に美味い。
話が佳境になるころ、ある男の話題になった。同窓生ではないけど、彼が交友する一人で、菜食主義者だけど、ある業界で大活躍しているらしい。「菜食主義」にビットがたち、「その男はMじゃない?」 と尋ねたら、「なんでしっとーとや?」といわれ、「そいつは、うちの会社の第一号のプログラマーばい」
と答えた。そんなことをブログに書いたら、Mくんから書き込みがあり、30年ぶりに再会することになった。
まさに「一期一会」の妙だ。
宗像という土地は宗像大社の神域である。玄界灘の「神湊」と書いて「こうのみなと」とよばれる場所と、沖合の筑前大島、そして沖ノ島の三か所にアマテラスさまの三女神が祀られているて、昔から遣唐使、遣隋使などが海を往復する時に、守ってくれた神であり、日本海戦の勝利もそのおかげということで、東郷元帥が戦艦三笠の羅針盤をお礼におさめた話は有名。
仏教や思想、お茶やいろいろな芸術もこの海を渡ってきたので「海のシルクロード」と呼ばれる。
出光興産の創始者佐三翁もここの出身で、亡くなるまで宗像神社を大事におまつりされた方である。
翁は外国からお客さまがくると、京都を好んで旅し、まず二条城に行き、「ここはあなたの国の王様と同じく、武力でこの土地を収めたので、お堀があったり、城に石垣を作ったりして、敵が攻めてくるのを防いだ」と説明し、その後、京都御所につれていき、「ここが日本の天皇の家だったところ。
掘りも石垣もない。それは、日本人みんなが大家族だと信じてきたからでである」と胸を張って説明していたらしい。
今日のレポートを読んでいるとしみじみとそんなことが思い出された。
宗像大社は昔から「海の交通の神さま」としておまつりされてきたけど、それは、人と人が交流してきた「むすび」の神がいたにほかならない。
この星の中で、一番おもしろく美しいのは「芸術」だと思う。そしていちばんの芸術は「人と人が出会うこと」だとつくづく思う。
天恩感謝・野村拝