表参道に「大坊珈琲店」というのがある。
いやあった。珈琲党には名の知れた名店で、今月中(今日あたり?)に38年続いた歴史に緞帳を下ろすことになった。
まだ京都で学生兼珈琲の勉強を始めたばかりのころ、京都から東京に彼の珈琲を飲みにきたことがある。
開店したばかりの珈琲店のカウンターに座り、ゆっくりと珈琲談義をしたことを、昨日のことのように覚えている。
昨日せんしゃくんが、記念の本を持参して卵かけごはんにきてくれた。
今朝珈琲を飲みながら写真集を見ていると、升たかさんの珈琲カップや、安土忠久さんのショットグラスが、いい感じの写真になっていた。
多士済々の文人や芸術家、珈琲好きな人たちと、お互いが楽しむ「居場所」として、表参道にドンとくさびのように存在していた。
煎茶の教室が近いこともあり、古本屋や骨董屋でいいものを見つけた時なんかは立ち寄って、濃いめのモカを升さんのデミカップで飲むのが好きだった。
煎茶を習うことになった時、大坊さんにそのことを伝えたら、「玉露を飲むと、一瞬にして体の中の細胞まで玉露、というのがいいですね」と、にこやかに話された。
でもその時、大坊さんが茶人で大坊珈琲店の空間は茶室であることを悟った。
真夏の暑い日に一度天真庵に珈琲を飲みにきてくれたことがある。「骨董屋みたいなお店にしましたね」といって笑われた。
でもまわりのお客さんが彼の珈琲を飲む所作などの「凛」に緊張感をもった。
お互いが骨董のような年になった。
主客が反対になっても一体感がある。この人にはいろいろなことを教わった。
どうもまだ終わりではなく、「次」があると信じている。
偉大な大兄、大坊勝次の「次」をゆっくり珈琲を飲むような気持ちで待つとしよう。
感謝・野村拝