昨年末、近所のカフェの若い主人やお店にくる若者たちがやってきて「今年の年越し蕎麦は、自分で打つ」という企画をやってみました。
押上に天真庵を結んで7年、この間けっこう多くの人が蕎麦打ちを習いにやってきましたが、30日の営業最終日に「初めて打つ蕎麦を年越しそばにする」というのは初の試みでした。
最終組は17時に4人集合。まずぼくが、師範代よろしく打ってみせます。
10人分のそばを、約20分で打ちます。(新人は平均1時間ちょいかかります)
それからじゃんけんで順番をきめ、ひとりひとりが一生懸命にそば打ちに挑戦。
いろんなところに力が入ったり、考えすぎたり、笑いころげたりしながら、その人しか打てない、生まれて初めての「そば」ができあがりました。
掃除をして、そばを食べたら、日付変更線を一時間オーバー)唯一無二の年越しそばを縁ある人たちと共に食べた、という感想を新年になって聞いた。
震災の後、西日本に移り住み、「農」にふれあいながら新しい生活を始めた人が天真庵のまわりにもあまたいる。
自分で蕎麦を栽培から収穫し、蕎麦打ちをやる、というのは六次産業のひながたみたいなもの。けっして楽な道ではないけど、「希望」の歌が聞こえてきそな道ではあります。
その一週間前に京都の「好日居」の女主人の横山さんが、買茶翁(ばいさおう)よろしく、茶道具や京菓子、京都の名水を旅行カバンや山岳用のリュックに詰めてやってきて、二階で「お茶会」をやってくれました。
昨年は、煎茶の世界では千利休ほどの存在である買茶翁が没後250年の節目であり、京都の黄檗山や縁ある場所で、いろいろなイベントがあり、天真庵でも、そんな茶会ができたことを、うれしく思っています。
「お茶」というのは、とりわけ、人と人を繋げていくものだと最近つくづく思う。
京都では、「普茶料理」のお店があります。黄檗山万福寺の開祖・隠元和尚が中国から、禅とお茶を伝え、その時に天座(てんぞ)という寺の賄いをやる僧侶(寒山拾得の拾得も天座)がつくる精進料理のこと。
「普(あまねく)、大衆に茶を施す」という意味を込めて、そう呼ばれた。
8年目を迎える今年は、二階の座敷で、「普茶料理風そば会」に挑戦することにした。
ただでてくるもんに舌鼓を打つだけでは芸がないので、「参加型」にしたいと考えている。
たとえば、結婚記念日に苦労をかけた奥さんのために、「今日のそばがきは自分でかく」とか、大事なお客さんに「自分で打ったそばを供す」なんて、素敵な「おもてなし」になると思う。
最初に「茶礼」がありますが、気持ちと愛情のこもったお茶を、その会の中心人物に入れてもらいたい、と考えております。
よく最後の晩餐には、何を・・・みたいな話がありますが、明日で命が終わりだったり、明日で地球が終わりみたいな日がきたら、「こんなお茶会を気のおけない仲間とやりたい」というなヒントになればいいと思う。
2月3日からは「長屋で女史会」というのを月一でやっていきます。ぼう女子大の教授で常連のI教授が、先生。男子禁制みたいな響きを持つ会ですが、男子も熱烈歓迎です。
神話の世界の男と女の歴史、近親相姦や同性愛やら、内容豊富であります。
女性の歴史というのは、男と女の歴史であり、人間の歴史。
「論語の会」(順受の会)も、今年で20年。一歩一歩がやっとここまできた、という感じ。
これからも一歩一歩ゆっくりお茶とか花を愛でながら、時には酒を酌み交わしながら、共に楽しんでいけたらいいな、と新年の朝に誓った馬のスタート。
感謝・野村拝