近くに香取神社がある。
まだまだ寒いけど、境内に中に梅がたくさん咲いてい。
昔「小村井梅園」があった場所で、将軍さまや文人墨客、旅人に親しまれた江戸百景のひとつ。ここの春を愛でるのも8回目になった。
つまり天真庵をこの地に結んで、この春で8年目になる。
リーマンショックがすぐに起きたり、震災があったり、最近ではコンビニがどこもカフェをやり始めたりするのでで、個人で経営するカフェや飲食店が10年続く確率が、5%にいかない
のが現実。
そんな中にあって、寄る年波にもめげず、毎朝「びん棒」というのし棒に、ときにはのされそうになりながら、蕎麦を打ち続け、ガラガラと珈琲の生豆を手回しの焙煎機で焼いている。
来月から消費税があがるというまた大きな壁がたちはだかっているけど、「ここで死ねたら本望や」と思いながら、毎日毎日が本番、今年こそが本番、今、ここが本番やと思っていろいろなものや出会っていく無駄のない縁でつながっている人たちに感謝しながら生きている今日このごろ。
今年から二階で「普茶料理風そば会」を始めた。一日限定、4人さまでお茶やそばや普茶料理風のそば会を楽しんでもらうという趣向。酒肴はお互いの会話であり、日常から少し離れた夢みたいものを語りあったりできればいいと、勝手に思っている。
お茶が入るので、少し緊張させるけど、織田流煎茶道の「お客さまに窮屈な思いをさせないこと」という織田有楽翁の教えを守りながら。
二階は、お茶やお花やかっぽれなどをやる場になっているけど、ここで三味線でも楽しめるようになりたい、とぼんやり考えていたら、「たまちゃん」という元芸者さんがたまたま珈琲を飲みにこられた。
話をしてみると、天真庵の近くに越してくるらしい。最後の幇間として有名な悠玄亭玉介さんの弟子。
齢85歳になるが、背筋がちゃんとしていて、小股が切れあがったような着物姿だ。桜の咲くころ天真庵の二階で、「座敷芸」を披露したいと企画している。
珈琲を飲みほして、お金を財布からだそうとしたら、そこに香取慎吾さんの写真が貼ってあった。「ファンですか?」と聞いたら、「おっかけなの。テレビで追っかけてるのでお金かからないけど」とのこと。
後15年がんばって「芸」を磨いていくのが夢らしい。わずか30分くらいだったけど、平塚らいちょうの「女は昔太陽だった」という言葉を思い出した。
一灯照隅。どんなに小さな存在でも、片隅を照らすことができる。
二階で「無茶しぃの会」をやっていて、その仲間の一人が、青山俊薫という曹洞宗の住職の本をくださった。その中に「典座教訓」という道元さんの教えをわかりやすく解説されていた。
典座(てんぞ)というのは、お寺のまかないをやる人のこと。
雲水などの命を紡いでいる役割を果たすので、位も高い。寒山拾得の拾得は、いつも箒をもっているけど、間違いなく「典座」。
その本の中にこんな文があった。
太陽は夜の明けるのを待って昇るのではない太陽が昇るのから夜が明けるのだ
天恩感謝・野村拝