2014/04/09(929) 『天真庵を押上に結んで、8年目の・・・ 』

天真庵を押上に結んで、8年目の春(4月1日)を迎えることにあいなりました。

久しぶりに「大人の修学旅行」よろしく、お茶仲間やお店の常連さんといっしょに京都に行ってきた。天真庵をつくるきっかけになった画家の南條観山先生の「寒山拾得」の絵が、京都野村美術館の隣の野村家別荘「碧雲荘」に飾ってある縁で、名匠・小川治平衛の作った庭を毎年見に上洛させてもらった。その野村美術館で今月20日まで太田垣蓮月の展覧会をやっている。

そこから歩いて瓢亭の前を通り徒歩10分のところに「茶房 好日居」 http://kojitsu-kyo.cocolog-nifty.com  があり、そこで「白雲抱幽石」というテーマで蕎麦会とお茶会を無事開催できた。

太田垣連月は、江戸時代に知恩院で生まれた絶世の美人であり、歌人、陶芸家としても知られ、才色双美の茶人で、とくに煎茶を楽しみ、煎茶椀や急須も多く残している。「蓮月焼」というのは、彼女が作った和歌を土に刻んでいるのが特徴だ。二度の結婚で夫に死に別れ、6人の子供にも先立たれて出家する、という悲運の女性でもあるけど、そんな運命を乗り越え、晩年は洛北の「神光院」にて、隠居しながら世界的な芸術家・富岡鉄斎を育てあげた。

今回の作品もアメリカの蒐集家が持っているものの展示だったけど、あまり日本人に知られていない偉大な日本人のひとり。「人知らずして恨みず」ではないけど、いろいろな陰徳を積んだ人でもある。

鴨川に架ける丸太町橋は、彼女が匿名で寄付したお金で作られた、というのも京都では有名な話。

そこから歩いて河原町までいったところの東側に「丸太町東洋亭」という老舗の西洋料理屋がある。

上洛すると必ず立ち寄るお店。大正初めに創業して以来、石炭ストーブを使って、コトコトと時間をかけて料理を供するお店。奥の壁に飾った福本達雄の富士山の絵を見ながらここで食事をすると、「京都に帰ってきた」という気持ちになる。そこから歩いてすぐに、「安兵衛」という店があった。「学生街の喫茶店」ならぬ「学生街のおでんや」で、コロ(くじらのあぶらみ)をつまみに名誉冠という伏見の二級酒の燗酒をよく飲んだ。

そのお店のすぐお隣近所に、ジャズ喫茶の「シャンクレール」があった。高野悦子の「二十歳の原点」 によくでてきたお店。そこで最初に聴いたのがキースジャレット。下宿代が滞ったり、タバコを買うお金に困ったりしたけど、毎日喫茶店で珈琲を飲んだり、二級酒の安酒だったけど、おいしく飲んだりしながらなんとか暮らしていけた時代は「豊か」だったように思う。清貧を楽しみ、芸術に打ちこんだり、お茶を楽しんだりした太田垣蓮月や池大雅・若冲・木米たちに影響を与えた「売茶翁」(ばいさおう)も、「ほんとうに自由な生き方」を実践した偉大な先輩だとつくづく思う。

京都の中心街は、時代の流れで「パリーズ珈琲」とか「砂場」みたいなチェーン店ばかりの看板が目立ち、田舎芝居のチャンバラみたいに安物の着物を着たアジアの人たちの「田舎芸者の厚化粧」にあふれているけど、「ほんもの」もまだまだ生きている古都でもある。

大正時代の詩人吉井勇が「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」という詩を書いた。

鴨川も白川も、もとの流れではないかも知れないけど、今も自由にただゆらゆらと流れている。

感謝・野村拝