昨日から今年も後半戦。
昨日はこのレポートを発行している会社の岩本先生の「英語で蕎麦会」だった。
フランス人のスケットも毎回こられ、生徒さんも海外で生活した音楽家などもいて、さながら無国籍な奇人の集まる「めだかの学校」のようだ。
その前日、6月30日は、「たまちゃん(悠玄亭玉さん)の85歳の誕生日ライブ」をやった。
今も浅草の演芸場などで活躍する現役の世界にひとりしかいない女幇間(ほうかん)芸人。天真庵の若い常連さんたちと、江戸に伝わる座敷芸を楽しんだ。「幸喜の底」とかいう禅語がある。
心の奥の奥の底から、喜びや幸せを感じることらしいが、まさにそんなライブだった。♪あ、かっぽれ かっぽれ あんたに かっ惚れた!
昔から遊廓・花街には、その道の案内人みたいな「幇間」(ほうかん・・・たいこもち)がいた。
幇間とは、人と人を取り持つ、とか助ける、とかいう意味がある。太閤秀吉の宴席で、場を盛り上げようとして太鼓を持ってきた男がいざたたこうとしたとき、まわりにいた気のきいた男たちが、「太鼓をもった」、という逸話が起源らしい。いきな芸だ。
「いき」といのは、「意気」にもなるし、「呼吸」でもある。
最近はどんな会社や組織にも、「よいしょ」ばかりがうまく「よぉ~、たいこもち」みたいな輩がいっぱいいるけど、昔は幇間しだいで、宴会の雰囲気が左右され、接待やその後の取引に影響を与えるくらいに存在感のあるものだったらしい。
本来のたいこもちは、軽妙洒脱で、座敷の空気や人の機微をみながら、融通無碍に場を盛り上げることができ、真面目腐った男たちでも心の底から楽しませるような芸をもっていて、卑屈になることはなく、志と誇りをもって「幇間」という居場所をもっていた。「人間」「幇間」・・・やはり間(ま~、が大事だ)
時代が変わり、座敷遊びよりもキャバクラ、三味線よりもカラオケになって、「いき」の世界が狭まって、息苦しくなってきた。ささくれだった気持ちを癒す場所がなくなってきた。
江戸の文化は、寛文の京都から元禄の大阪経由で伝わり、江戸で花開いた。「幇間芸」のひとつ、かっぽれも、大阪の住吉神社の住吉踊りを起源にし、江戸で花開いた。上方からいい日本酒も江戸に下ってくる。下ってこない駄酒のことを「下らない」といった。酒と芸・・切っても切らない関係だ。
昨日聞いた都々逸を披露・・・
♪この膝はあなたに貸す膝
あなたの胸は私が泣くとき借りる胸
(これはABCD(DではなくH?)
ある都々逸のAかBにあたるらしい。
Cになると・・・放送コードにしっかかる(ひっかかる)ので、小さなライブ)で、Hはやっぱりお座敷でしょうな?)
C・・・♪この舟はあなたがのる舟 あなたの竿は私がいくとき借りる竿
この都々逸は、30年くらい前、秋葉で会社をやっていたころ向島にあった「Y」というお店によく通ったころ、そこの女将さんに教えてもらった。
実は今の「天真庵」の建物を70年前に建てた主人も「Y」の常連だったことを、契約の日に聞いて、不思議な縁を感じたことがある。「幇間」が取り持つ妙な奇縁。
今日はお店はお休みだけど、「かっぽれ」がある。
男子3人で6年くらいやっている。まだまだ座敷に呼ばれるところまで芸風ができあがっていないけど、そのうち玉ちゃんとコラボで、どこかの座敷で披露したいと思っている。
「かっぽれ」「深川」「ずぼらん」「伊勢音頭」などを楽しくお稽古している。
来週の9日(水)から女子の「かっぽれ」が始まることにあいなった。これも玉ちゃんがこの街に住みつくようになって一か月での影響だ。
しかも5人の女子が集まった。
厳しい社会の中でもまれ、男は疲弊し、みじめにごまを擦ったり、昼間会社でたいこもちみたいになっていて元気がない。
ちかごろ、男子の専売特許みたいだった領域に元気な女子たちが幅をきかせている。
「深川」というのは、坊さんが吉原に繰り出す話だし、ずぼらんも、けったいなスケベオヤジが登場する話だけど、キャッキャいいながら女子たちが踊る時代。
今月26日(土)は「隅田川花火大会」。
7回目の「浴衣タイブ」(17時から、花火が始まるまで)世の中の小さなトレンドに右往左往せず、自分の身の丈にあった暮らしを、自分のゆっくりした呼吸(いき)で一歩一歩進み、無駄や無理のない自然で簡素な生き方をしてきた「日本人」にもどるような時代かも知れませんね。
感謝・野村拝