2014/09/04(950) 『今年の夏は日航の事故から・・・ 』

分け入っても 分け入っても 青い山(山頭火)

今年の夏は日航の事故から29年を迎えた、というニュースがあった。

そのころから、里帰りを車でするようになった。最初のころは若かったので、薬局にいって「モカ」とかいうカフェインの強い眠気覚ましの薬を買い、高速道路をぶっ飛ばして片道1100kの道を車で走った。

途中に第二の故郷みたいな京都があるので、古寺巡礼よろしく折々の古都を楽しみながらしながら旅をしたものだ。平成になって、池袋でギャラリーらしきものを始めて、立ち寄る場所が増えてきた。寒山拾得の絵を描く南條先生が住む四国や、陶芸家の久保さんの住む三重県菰野町などを経由しながら、縁ある場所のかしこに立ち寄りながら、ゆっくりと旅するようになった。

2007年天真庵を押上に結んだ不思議な縁で、山口の宇部からお花の原田耕三先生が、伝統的な花を教えにきてくれるようになり、弟子の末席で50の手習い式に花を教わった。

お花の生け方を習う、というより、人間の生き方を教えていただいた気がする。

二年前の春に、先生が福岡の星野村で「桜を生ける会」をやられ出席した。京都から空輸された桜を、日本一の呼び声高い「玉露の村」でみごとに生けられ、福岡に古くから伝わる武家手前のお茶会を堪能した。その秋にやる予定だったお花の会が、秋の大雨で流れた。

2年後の今年の8月8日まだまだ災害の爪痕の残る星野村でリベンジの会をやった。前回の会で縁ができた星野村の名刹浄円寺で、「蓮及び白茶を手向ける会」がおこなわれた。

台風の影響が心配されたけど、実家のある宗像から、山また山を越え、八女(やめ)の山間にある美しい名前に負けない、天の「星」、地の「野」、「ホシノ」にいく道はまさに山頭火の世界。

お花の会では、二年前に知り合った陶芸家の山本源太さんが隣だった。詩人でもあり、長く途絶えていた「星野焼」を再興した村の恩人でもある。注目を集めるような作品や、売れるようなもの、ほかにはない作品などには興味がないみたいな素朴な人で、どこか久保さんと生き方も似ている。

そこで天と地にはさまれた中で、生かされていることに感謝しながら毎日毎日のいとなみの中から、自然の「土の花」が咲く、といった風合だ。

彼は自分のことを「土泥棒」という。恋泥棒、花泥棒、土泥棒は素敵などろぼう!こんな彼の詩がある。

  扉は閉ざされた 塗りこめた泥を最後に 窯内の器はもはや

  誰のものでもない 小さく願うのではなく まして突き放したわけではない

  火を入れて蹲り 火が火の力で熟れるのを待つ

  風はやみ想念は消え ただ薪のはぜる音を聞く

  火は火をよんで燃え盛り みよ煙は紫にたちのぼる

  そのときだ土が柔らむのは

  器は火を喰らい 型を崩さず火に溶ける

  衣を太古へ脱ごうとして 土が耐えているとき もう内をのぞかない

  手にとれそうで犯しがたい 

  みずからにひきこもる器との なんという透明な感覚

    「源太詩集 蛇苺より」

茶会をやられた相良先生より手紙がきた。

(略)  人にはそれぞれの人生の中でほんの一瞬、同じ縁を感じ共に涙する時があります。

皆さま方とそのようなご縁が再びございます事を心から念じつつ、御礼の言葉とさせていただきます。

 

人と人が出会っていくこと以上の芸術はこの星の上にはないと痛感。

天恩感謝・野村拝