2014/10/02(954) 『青天の霹靂みたいな御嶽山の大噴火・・・ 』

青天の霹靂みたいな御嶽山の大噴火があり、時代が変わるように暦が9月から10月になった。

平成とは、神さまが大掃除をして「平たく成る」という言霊らしいけど、いよいよそんな時が近づいてきているような今日このごろ。いかがお過ごしですか。

天真庵のカウンターの椅子を作ってくれた木曾の名工般若くん。ヴィオラ奏者のヨッシーとその椅子に座った縁で結ばれ、この夏に2人目の姫君が誕生した。

「内祝」の品を久保忠廣さんの器にするというので、昨日久保さんのアトリエ(三重)にいき、美濃でやっている「大織部展」を見て、木曽路を走った。すっかり山も川も風も秋だ。

藤村の言葉を借りるまでもなく、昔から木曾は山山山の中だ。

美濃からは、国道19号線をひた走り、木曾村にいくのだが、途中、自衛隊の車と多くすれ違った。

山の稜線の上には、自衛隊の大きなヘリコプターが飛んでいた。思わず上を向いて合掌。

いろいろなことを考えさせられる木曽路の旅だった。

大織部展は、戦国武将であり茶人であった古田織部の400回忌を記念して行われている。

最近はアニメで「へうげもの」というタイトルで連載されているあの人が古田さん。

桃山時代の茶陶といえば、織部・黄瀬戸・志野。器は茶に興味がない人も、今回の展覧会はおすすめ。「日本人に生まれてきて、これと出会ってよかった」と思わない日本人はいないと思う。

天真庵の器の9割3分くらいは、久保さんの器を使わせてもらっている。蕎麦を盛る皿が、志野(絵志野)。

珈琲のドリッパーが黄瀬戸。織部は蕎麦猪口や豆皿として活躍している。無理をいって、煎茶の道具の茶巾筒やこぼしなども、作ってもらい、二階の座敷で茶の友たちと愉快な時間を過ごす必需品になっている。その器たちを入れる茶櫃(ちゃびつ)や茶箪笥を作ってくれているのが般若くん。

もともと三重の伊勢神宮と木曾は、檜でつながっている。式年遷宮で作りかえるお社は、木曾の檜を使う。

また志野でよく使われる模様に、檜垣文(ひがきもん)というのがある。

今月の14日から19日まで、渋谷の「炎色野」(ひいろの)で、久保忠廣作陶展がある。

今回は新しい土を使って作陶。ハガキの写真は、檜垣文の鼠志野の茶碗だ。いい。

いろいろなものが、「ごあさんで願いましては」になって、出直しをするような時代。日本人が戦国の世から平和を祈ってつくってきた「美しき美」みたいなものを、静かに感じあうようなそんな「ゆとり」が必要な気がする。

10月は、ゆかりの人たちのジャズも3つあります。よかったら「うらおし」(裏押上?)といわれはじめているうらぶれた街に、「じゃずそば」を手繰りにきてください。うらやけど、桃山陶で「おもてなし」したいと思います。

                                          感謝・野村拝