2014/11/12(960) 『「昨日の「クローズアップ現代」に、・・・ 』

昨日の「クローズアップ現代」に、「たまちゃん」が、愛犬の「こばな」といっしょに 紹介された。

世界でひとりだけの「女幇間」の悠玄亭玉さん。

本名は「萩原さん」でテレビでは そうよばれていた。

6月30日に85歳になり、その日は天真庵で彼女が三味線を爪弾き、 小唄や長唄、スマップの「世界にひとつだけの花」を歌い、最後はかっぽれを踊った。

天真庵には、5月に近くに越してきて依頼毎日きて元気なおしゃべりをして蕎麦をつるっと手繰っていかれる。
浅草芸者を長くやり、60歳から悠玄亭玉介師匠の弟子になり、幇間芸を身につけ、生涯現役 の旅の途中の人だ。

今月23日(日)に「玉ちゃんのお座敷遊び入門講座」(19時から)をやる。
その日は、うちの常連で向島でも「すーさん」といえばSというおじいちゃんの92歳の誕生日。だった。
毎日お店にきて「玉ちゃん」「すーさん」と談笑できる関係になり、「ぼくの92歳の誕生日 に、三味線ひいてください」という約束になっていたけど、先月旅立たれた。

ほんまに残念。でも大往生。
「偲ぶ会」では湿っぽいので、「お座敷遊び・・・」に変更。

興味がある方はご一報あれ。

元気なじいちゃん、というにはまだ早いけど、今年の1月から毎月一回、8人限定で「気骨の鮨会」 をやってくださるKさん。

佐賀のがばいじいちゃん75歳。

昨年奥様に先立たれ、本人もガンの手術を3回やり、その後医者の治療を断り、死を意識しながら自然に生きていた。

そんな時に近くの春慶寺(四谷怪談の鶴屋南北が眠っている押上の名刹)でいっしょにそばの会をやった縁で知り合い、不思議な縁をいただいた。

先週は蕎麦打ちの仲間や陶芸家の渡辺愛子さんたちと「大人の修学旅行」と称し、奈良へご一緒した。

鮨会の時は「これはぼくの抗がん剤」と笑いながら日本酒を飲む。春日大社の茶店で酒を飲んでいるとき、「久しぶりに病院にいって、検査したら 肝臓に転移したガンがきえとったばい」とのこと。

フランスには奇跡の水ルールドの水があるけど日本にも 奇跡の抗がん剤「日本酒」がある。12月まで満席だけど、来年も続けられることになったので、一度「がばい鮨」 を食べにきんさい。

今年は毎月のように「蕎麦会」をどこかの街でやってきた。

12月7日(日)は「八郷」(やさと)。
これもまたうちの常連さんで有名なIT企業の若者が、毎週のように八郷にいき、有機農業の 修業をしていて今年はじめて蕎麦をつくったらしく、その蕎麦を打つ役として白羽の矢が飛んできた。
天真庵の珈琲の石臼も筑波山の近くの真壁という石の街でつくってもらった。
その縁で、同じ石屋さんで「大豆用の石臼」をつくってもらい、毎日手打ちのそばと豆腐を供す「しげふじ」 という蕎麦屋が八郷にあり、里山をみながら豆腐でそば前に通った。主人は引退した後「蕎麦屋を10年」 ときめていて、今月いっぱいで緞帳を下げることになった。

これまでフルマラソンを100回完走した72歳のご主人。
これからの後半戦もまた新しいゴールをめざして走り続けるに違いない。

今月1日に、ジャズピアニストの大石学さんと国貞雅子さんがライブをやってくれた。

隣の隣の隣に住んでいたセシル・モンローが、大石学トリオのドラマーだったのである日 「大石学が天真庵でライブをやりたいと言っている」、と笑いながら「クロキリの蕎麦湯割り」 を飲んだ。

国貞雅子は、ワカことBCNの専務だった親友の吉若徹が紹介してくれた。

そしてその縁でふたりは各地でいっしょにライブをやり、この秋に「M」という素敵なアルバム ができた。

セシルもワカも2011年に、還暦を待たずに実相の世界に旅立った。でもふたりを ここで出会わしてくれ、美しい音楽が誕生し、それが優美に広がっていく。

こんな素敵なことは ない。

死んでも生きている。

毎朝蕎麦を打ちながら「M」を聴いている。

最後に一曲「わが胸のふるさと」という日本語の曲がある。

ふるさとはかえる場所でもあり、いつでもこころの中にある場所であり、永劫の「居場所」 である。

 

「居」(Here Now) 今、ここにこうして生きていて、いろいろな人と出会うこと。   に 感謝・野村拝