2014/12/10(964) 『毎日のように、英語で蕎麦会、ダメ・・・ 』

毎日のように、英語で蕎麦会、ダメから始める中国語、順受の会、長屋で女史会・・・のような「文花的な寺子屋」という勉強会をやっている。

どれもが月に一度なので、今月は毎日が、勉強会の後に忘年会みたいな蕎麦会をやり、「よいお年を」と挨拶をしてお開きになる。

光陰矢のごとし、歳月人を待たず、師も走る12月。

週末に今年最後の「蕎麦会」を「やさと」という茨城の風光明美な里山の農場でやってきた。

正確には、「暮らしの実験室」http://www.kurashilabo.net/organicfarm.htmlというところ。

翼賛会ほどおおげさではないが、白樺派の武者小路実篤さんが大正時代に宮崎で実験した「新しき村」運動みたいに、各地で「都会のそれとは違う生き方」を模索実験してきた歴史がある。

「暮らし・・・」も、60年代の学生運動が終わり、政治や現状の打破を夢抱いた若者たちの市民運動であり、少し堅苦しいイデオロギーの匂いみたいなものを感じる「新・新しい村」のような動きと同じ波動の運動のひとつとして、「やさと」で産声をあげた。

紆余曲折はあったものの代替わりや運動の分裂や3・11以降の風評被害にも風雪にも耐えながら40年以上も続いている。

今の中心メンバーの人たちは、地元出身ではなく、いろいろな土地で生まれ東京に勉強や就職した若者たちが、そこに移り住んだり、週末は田舎暮らしよろく、「新しい暮らし」を一生懸命模索している若者たちだ。そのうちの何人かがIT業界にいる若者で、時々天真庵に蕎麦を手繰りにくる青年で、ある日ポツリと「今年蕎麦をつくったんで、蕎麦打ちを教えにきてくれませんかボリボリ」というので、「よっしゃ」ということになった。

ブログにも書いたけど、教えられることのほうが多い会だった。最近は「縁があるな」と思ったら、まず行動をすることにしている。「たられば」を繰り返すことと、「何かを続ける」人の間には、深くて暗い大河が流れていると思う。一般的な世間の目で見れば、今どき田舎暮らしをする若者は、
「奇人」に見えるかも知れないけど、神さま(自然)の目から見れば、しごく「真っ当」である。

ぜひ一度、彼らが育てた野菜や卵を、味わってほしいと思う。ほんまに「うまい」!

彼らが天塩にかけて育てた蕎麦の実をみんなで蕎麦にして、ワイワイいいなががら食べた。

最後の蕎麦を窯に入れようとしたら、若いくんが、「少し残しておいてください」という。

蕎麦会の後にみんなでそれをもって、近くの石碑にお供えにいった。

江戸時代にこの地に住みついた「篤誉小人」の碑とのこと。

寒山拾得のようにボロをまとい、最初村人には「乞食坊主」と言われていたが、祈祷で病を治したり、人の生き方を諭したりし、お布施かわりの蕎麦を目を細めて喜び、「そば小人」と呼ばれたらしい。

ある日突然とこの村から去ったけど、村人がその日を命日にしてこの石碑をたてたということらしい。

「ひとりの偉い人」が住んだ街は、空気が違う。「やさと」の空気がどこか特別なのは、その小人の一歩であり、その流れを汲む若者たちの一歩であり、毎日毎日の土を耕したりするひとつひとつの運動だと思う。粒々皆辛苦の一歩。

帰ってきた次の日は「卵かけごはん」の日。

突然だったけど、「田中健」さんが天真庵にやってきた。

先月旅立った「高倉健」さんも田中の健さんも同じ福岡産。

彼の実家が「お茶屋」ということもあり、星野村の話や宗像大社の話がはずみ、テレビ局の人を悩ませた。

おまけに二階でケーナを聴かせてもらった。

もちろん網走番外編みたいなもので、テレビにはでないと思うけど、19日(金)午後4時からのテレビ東京の「L4YOU」という番組でちょこっと天真庵が紹介されるかもなんばん。

                                  感謝・野村拝