この地球という星には、男と女がいる。そして、珈琲という宝物もたまわった。 男と女がいる限り、恋があり失恋がある。人は恋するとき、一杯の珈琲に夢や 憧れや希望を求めたりし、失恋したほろ苦さを感じるときにも、珈琲を所望するものだ。
男も女も珈琲も、神さまがこの星にくださった最高のプレゼントに違いない。
多くの人と人が出会い、そして別れ、また出会い、愛されたり、憎まれたり、嫉妬したりしながら 人生という時間が紡がれていく。 雨が降ったり、雪がふったり、風が吹いたり、人生にも悲喜こもごもの時があるけど、どんな時でも 傍らに一杯の珈琲がある。
お煎茶も、お酒も、珈琲も、ほんとうにおいしいものは、「人肌」でいただくものときまっている。 きっと男と女が、お互いの「生きてる」を求め合う気持ちと同じようなものかも知れない。
珈琲の味わいには、苦味、甘み、酸味がある。でも最も大切で、印象に残る味は、これらすべてのバランス と「人間味」かもしれない。
20歳のころから珈琲の世界を探求してきたけど、齢50を超えて、そのへんの機微が少しわかったような気がする。 天真庵の「長屋の珈琲」は、そのあたりを抽出できたら・・・がささやかな目標。 そして、一杯の珈琲が紡いでいく出会いを大切にしたいと思う。そんなこころが静かに広がっていったら、そこは きっと「やさしい時間」が流れていると思う。男と女がいる限り、世界が平和である限り、人間は珈琲を楽しんでいる と信じたい。