「思案に暮れる」という言霊のようなネーミング。京都を、いや日本を代表するようなジャズ喫茶だった。
1970年代は、京都の街も、学生運動で揺れ動いていた。こころざしを持った若者たちが、赤き血潮や居場所のなさ、疎外感を救ったのは、一杯の珈琲であり、街じゅうにあったジャズ喫茶で聴くジャズだったように思う。
1975年に立命館に入学した時には、今はなき広小路校舎から歩いて5分の荒神口という場所に、シャンクレールがあった。JBLの大きなスピーカがでんと置かれていて、バリバリという雑音を含むジャズを聴きながら、少し深煎りの苦い珈琲やハイボールを飲んだのが、ぼくの原点。そのころ「二十歳の原点」(高野悦子著)という、二十歳で自らの命を絶って旅立った立命館大学生の日記がベストセラーになった。
価値感がゆれたり、自分の気持ちがぶれたり、迷ったり、不安になったりすることの多い昨今。 もしも、そんな気持ちにゆれた時には、深呼吸をして、一杯の珈琲をいれ、「自分の原点」を探す旅をするのも一考かもしれない。あまり「思案に暮れ」たくはないけど、精妙な気持ちになって、自分探しをする時間は、とても大切だと思う。