昨日は順受の会、通称論語の会だった。
21年目に入る勉強会。最初は渋谷の商工会館みたいな公共の施設で勉強した後にその近くの居酒屋で二次会、というパターンだった。
1995年ころ寒山拾得の絵をかく南條先生と知り合い、池袋に「天真庵」というギャラリーを始めた。少しづつ寒山拾得の絵が増えていった。3年目くらいに、一双の屏風を買った。「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)」である。
蘇州の寒山寺が世界中の人がいくのは、この詩があったからであり、寒山拾得の世界を求めているからである。日本人の「こころの原風景」もこの詩に含まれていると思う。
西條八十先生が「蘇州夜曲」をつくったのも、もちろんここが原点であり、日本人の原点でもある。
20年近く前の話だが、論語の会の日、松田先生がその屏風を見て、いきなり吟じた。
たぶん一升近く飲んだ後だったけど、まだ40代のはじめだったので、カラオケでおはこの「すばる」を歌う気楽さで吟じた。昨日は久しぶりに「楓橋夜泊」を吟じてもらった。還暦を過ぎたけど、まるで寒山寺の鐘の音が客船に届いたように、はらわたに沁みた。
木曜日は「ダメから始める中国語」 まいこ先生が中国語で「楓橋夜泊」をろうろうと読んでくれる予定だ。
意味がわからなくても、読んでいるだけで、ふるさとに帰るような気分になる。
簡単に説明すると、張継が科挙の試験を受け、落胆した時に沈んだこころに寒山寺の鐘を聞いて「ああ、こんな小さなことで悩んでいるなんて、寒山拾得の世界からみると小さなことだ」と悟った瞬間の詩であり、彼はこの詩で世界的な詩人になった。
「楓橋夜泊」(張継)
月落ち 烏(からす) 啼きて 霜 天に満つ
江楓(こうふう)漁火(ぎょか) 愁眠(しゅうみん)に対す
故蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る
いろいろあるから人生はおもしろい。
感謝・野村拝