2016/01/07(988) 『またまたフランス人をポンボキに・・・ 』

「またまたフランス人をポンボキに成功した」か?

火曜日は、スカイツリーに来ている3人のフランス人に英語で話かけ 「近くのへんな蕎麦屋でこれから蕎麦喰いがてら、英語の勉強するんやけど、いっしょしない?」 と誘い、うまくいった。

9勝2敗くらいで、国際的なポンビキに成功している。

しかも9勝のうちの3割くらいがフランス人。母国語ではない英語を使うので、米(あめ)ちゃんや、英ちゃんよりもわかりやすい。

若い男女のカップルと、その女性のにいちゃん。にいちゃんは、マダカスカル島の東のモーリシャスの小さな島(フランス領)からきた。

総勢10人の「国際的な蕎麦会」ができた。

なんかうまく表現できないけど、「どこにも類のない英語で蕎麦会」が進行中みたいな感じだ。

 

京都の学生時代にフランス人で猫をかっていて、いつも冬はちゃんちゃんこを着ていた不思議な青年が、仁和寺のアパートにいた。

ぼくは近くの鳴滝本町に住んでいたので、仁和寺のアパートに住む熊本人ふたりが住むそのアパートによく遊びにいった。

界隈は「京都魔界地図」には必ず登場する場所(双ケ丘、とかいう)で、そのアパートの一室(ボロだから4部屋借りて普通の家賃だった)もよく泊りにくる人がかなしばりにあった。

 

酒好きの熊本人が大いに酒を飲む場所なので、「みんな借金で首がまわらなくなったんでは」と冗談をいっていたんだが、在る日、みなで酒を飲み、タオルをまいてボクシングになった夜がある。

みんなかなり飲んでいたので、そのようになったんだが、下戸でふだんはまじめな松村くんというのが、しらふで途中参加したもんだから、みんなサンドバッグになって彼にいいように殴られた。

ぼくもふだんなら左のジャブだけで、大丈夫だろう相手に不覚をとって、そのいってはいけない部屋でダウンしていたら、かなしばりにあった。

普段の恨みをはらしに松村くんが上にのったと思っていたら、老婆のような顔がそこにあった。

その不思議な古色蒼然たるアパートも今は取り壊され、マンションになったらしい。
あの老婆は、どこにいったのだろうか?などと時々思う。

京都市バス59番「宇多野・山越」行きにには、京都の青春時代の物語がいっぱいあって、将来何か書きたいと思っている。

 

 

感謝・野村拝