2016/06/13(991) 『加茂福酒造の「死神」というのは・・・ 』

加茂福酒造の「死神」というのは、島根の銘酒である。

そこの会社の社長が、一度天真庵にきて、蕎麦を手繰っていかれた。

その時に杉浦酒店さんがエンジのTシャツの背中に「死神」とプリントされた「死神Tシャツ」をくれ、愛用?している。

それだと知っているお客さんは「レアもんですね」と声をかけてくれるけど、まちがえてそれを着たまま電車にのると、混んでる時もまわりに人がいなくなるし、レジで並んでいると、ぼくの後ろに人がいない、ということがしばしばある。

昨日は「卒啄珈琲塾」。焙煎の勉強が終わり、約束どおり太田垣蓮月の茶碗で酒を飲んだ。太田垣蓮月は、和歌や蓮月焼きという焼きものをし、書もいいのを残している。

若冲と同じく、そのよさを見出し、もっている人は外人さん。それが逆輸入されると、普段はそんなものどこ吹く風の人たちが、美術館に並び、ボリボリしながら蘊蓄を語る。

晩年は、西賀茂村神光院にて隠居した。奇しくも、昨日は加茂つながりで加茂福酒造の「如雨露」というにごり酒を入れて乾杯した。「じょうろ」という。じめじめする梅雨でも、こんな酒を飲むと、こころが晴れやかになる。

太田垣蓮月と親交のあった清貧の歌人に「橘曙覧」(たちばなのあけみ)という人がいた。

こんな和歌を残した。ほんとうの「ゆたかさ」は、こんなことではないかしらん。

「たのしみは朝おきいでて 昨日(きのう)まで無かりし花の 咲ける見る時」夜は「無茶しぃ」だった。

池大雅のおくさんで、池玉蘭の掛け軸を掛け、庭に咲いた半夏生を久保さんの黄瀬戸の花器に投げ入れた。

半夏生、「はんげしょう」という。葉っぱの半分がおしろいをしたように白い姿からそう呼ばれるようになった。

お金を使わなくても、ゆたかな気分になる「茶」はいい。

今日明日の夜は「インヨガ」。美しくなる、というのも化粧だけではいけません。

体とこころのバランスが大事なのです。

       感謝・野村拝