2016/11/09(994) 『年にニ度、福岡の実家の・・・ 』

年にニ度、福岡の実家の91歳になる父親がかみさんに「松の手入れ」を伝授してくれている。

それで「松休み」と称して、10日くらい休みをとって帰省する。

火曜日に「英語で蕎麦会」があった。フィリピン人をゲットして、楽しい英会話。17勝になるらしい。

それが終わって、車で出発。

大阪からフェリーにのって、門司港に朝六時に到着。それから宗像(むなかた、と呼ぶ。神道や日本古来史にはかかせない場所)の実家につき、簡単なあさごはんを食べ、「道の駅 むなかた」にいく。

ひらめの大きいの(ほんとうに大きいのは、ざぶとん、という)を買い、鎮国寺(弘法大師が、高野山より前に立てた)にお参りし、松の手入れ。

翌日も朝から松の手入れをし、夕方は妹夫婦たちと夕食。

妹は高校時代から毎晩ビールの空瓶を並べる酒豪だったが、さすがに寄る年波で、並の酒飲みになった。

翌日朝ごはんを食べ、島原に向かう。

諫早(いさはや、です)まで高速でニ時間くらい、それから島原半島の旅、ぐるっと一周すると、海や普賢岳や遠く天草の景色などを満喫できる。

今回は左まわりでいく。千々石(ちじわ)の海の駅で、風光明媚な湾の景色を見ながらちゃんぽんを食べる。

そこからすぐの橘神社にお参り。お社の隣に、くもの巣におおわれた石碑がある。釧雲泉(くしろうんせん)の石碑である。南画家の大家ではあるが、いろいろな事情があり、この街を出て、長崎・京都・江戸で活躍するが、一度も故郷にもどらず、53歳の時に、新潟の出雲崎の蕎麦屋で召された。

煎茶の世界ではあこがれの人で、酒・煎茶・釣り・そばをこよなく愛した九州人。なんか他人のような気がしない。

今年6月に、ぼくの珈琲と蕎麦のお弟子さまの「なつきくん」が、口之津(くちのつ、という)に移住した。珈琲とそばの店「からゆき庵」を準備中。

島原には「島原の子守唄」というのがある。

・・・♪なんのなしやら、なんのなしやら 色気なしだよ・・・

というあの子守唄。

明治維新あたり、島原や天草の貧しい農家の女子たちが、口之津港から東南アジアなどに売られていった悲しい子守唄。

旧友のお母様が、それを題材に「からゆきさん」を書いたので、頭では知っていたが、口之津歴史民俗資料館にいって、「なるほど」が腑に落ちていった。「からゆき庵」はそこから車で3分のところにある。

さっそく珈琲をごちそうになる。わざわざ今日のために雲仙あたりまで車で水をくんできてくれた。

床の間には、唐の詩人・張継の楓橋夜泊の掛け軸が飾ってある。寒山拾得を世界に知らしめた詩であり、寒山が文殊菩薩、拾得が普賢菩薩の化身、つまり普賢岳の近くにある「からゆき庵」にぴったりの軸だ。

そこで久保さんの「珈琲ドリポット」で供される珈琲を飲んでいると、あの詩を思い出した。

客至汲泉烹茶(客の至れば泉を汲んで茶を烹る)

やはり中国の詩人・蘇東坡(そとうば)の詩。ながさきに「しっぽく料理」がある。

豚の角煮のことを東坡肉という。

彼が左遷された時によんだ詩に豚の肉のことがかかれていたので、それからこの名前がついた。

♪長崎から船にのって神戸に着いた・・・・

以前、長崎に出島ができて海外から外国船がくる前から開かれた「口之津港」には、日本が今の日本になっていく「一刻」が刻まれている。

 

感謝・野村拝