2016/12/06(995) 『どうもいい人から召されるのかしらん?・・・ 』

どうもいい人から召されるのかしらん?

年年歳歳、この季節になると、「一年がはやいね」という挨拶と、ポストにくる喪中のハガキが増える。

知り合いの両親だとか、おじいちゃん、おばあちゃんが多かったけど、さすがに還暦をこえると、知人や知人の奥さまなどのものが増える。

仙崖和尚が「親死ね 子死ね 孫死ね」と、順番に死ぬるのがよろし、といったけど逆の場合も、ままある。

その人の「運命」みたいなものだから、そう受け取るしかない。宇宙の悠久の時間の配分からいって、100歳と50歳など、あまり大した問題ではないのかもしれない。

ようは、「どう生きたか」だけだ。還暦になると、いつ召されてもいい覚悟ができる。

天真庵で二度も素敵なライブをやってくれた林智之さんが、一昨日の早朝旅立った。N響の代表的なヴィオリン奏者。

まだ45歳の若さだった。京都出身だったので、いろいろ、京都の話をした。幼いころかヴィオリンを始めていたけど、その道がだめなら料理人になりたかったらしい。

無類の食通で、からふねやの珈琲も好きだったらしいが、演奏前は黒豆茶を飲んでいた。

「さすがプロ」だと思った。最後のライブになった日、不運なことに、店の前で水道工事をやっていて、繊細な音楽家やお客さまをナーバスにさせるような騒音が響いていた。

その時の共演者、同じくN響のやまねさんが尊敬するジャズクラリネッターのベニーグッドマンがシカゴからニューヨークに活動の拠点を移し、最初に演奏したジャズをやった。

そんな逸話をやまねさんが話した後に、林さんがポツリと、「今日のニューヨークは地下鉄工事をやっていますね」といった。

その瞬間に演奏家とお客さんのこころがひとつになった。

超一流の芸術家たちの「真・善・美」を教えてもらった気がした。演奏は、まさに終わった瞬間に終わってしまうけど、その一瞬の中に永遠の輝きがある。

人間の一生も、生・滅・生・滅の繰り返しの中の刹那の中にこそある。化けてきても、またあいたい人だ。

こころからご冥福をお祈りする。鎮魂。