2017/07/07(1001) 『今日は七夕。昨日は・・・ 』

今日は七夕。昨日は「サラダの日。」

サラダの日に、新人女子が元気に「初そば打ち」。

お茶のお弟子さんでもあるふたりは、玉のような汗びっしょりになったけどいい蕎麦が打てた。

粒粒の汗をかき、一粒で一本になる蕎麦を打つ。

そのそばも、一粒の種から、育ったものだ。

いろいろな手もかかり、それぞれの「一粒」が生きている。

 

まさに「粒々皆辛苦の一粒」である。

これから蕎麦打ち教室のことを「粒々皆辛苦の会」(りゅうりゅうみなしんくのかい)にしよう。

ひとつぶひとつぶの「命」に感謝しながら、蕎麦を打つ。そば前の「酒」も、一粒一粒の「命」を命がけで酒にした物語の一滴。古人は「血の一滴」として大切にしてきた。

 

能登半島から梅といっしょに、笹の葉がおくられてきた。梅茶翁の梅林に続く山道に一生懸命に生きている草木の仲間である。久保さんの志野の四方皿にのせ、そこに蕎麦豆腐をのせると、「七夕のハレ舞台」ができる。

 

能登の地酒に「竹葉」というのがある。「笹の葉」と酒は繋がりが深い。昔から酒飲みのことを「大寅」といった。

座敷遊びでは♪トラ トラ オートラ」というのがある。

寅は昔から竹といっしょに描かれる。そして酒飲みは自分が飲みたいので、まず人に「ささ」「ささ」といって、徳利の首をもって酒を勧める。そんな縁起とか演技から「ささ」が「酒」になり、大酒飲みのことを「大寅」とアダ名した、らしい。

 

本日は♀の「大寅」があまたやってくる。「ダメから始める中国語」がある。

へたなことをしたりすると、右腕が食いちぎられるようなことにもなりかねないので、いつも、小さくなって蕎麦会の端っこでじっとしている。

寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵は、ふたりの奇人がほうきと筆をもって遊んでいる構図。

そこに寅と老師が加わり、4人(3人と一匹)が寄り添って寝ている構図もある。

老師の名は「豊干禅師」(ぶかん)という。禅の世界では「この世で一番幸せな姿」ということになっている。まだまだ凡夫で修行の途中ではあるが、そのうち、大寅さんたちと雑魚寝ができるくらいの境地に達したいものだ。

 

今日は「満つまめの会」 狩野探幽が描いた「豊干」を飾ってみよう。

 

 

感謝・野村拝