音楽は悲しいな~。
素敵な人が昇華した。昨日は上原英里さんの「シャンソン」の会だった。
年に一度だけ、だいたいメンバーが集まり、ギター弾き語りのシャンソンを聴く。
天真庵の常連さんが紹介してくれたのだが、池袋時代にお世話になった梶原さんがお互いの大家さん、という不思議な「えにし」を驚きあった。
根っこはみな繋がっている。
彼女の「応援団長」はぼくと同じ申年で61歳。ぼくも今日から61歳。
昨日は彼は、6合の酒をあけた。
ぼくは5合が限界のような気がする。
でも3時間くらいシャンソンを聴きながら飲むと、そのくらい飲めるような気もする。
猿蟹合戦ではないけど、申年というのは、そんなどうでもいいことに、こだわりを持ったりする。
昨日の朝、小学校からの親友から電話があり、その日の朝に奥様が旅立ったことを知る。
ずいぶん昔の話だが、彼らの結婚式の司会は、ぼくがした。
家族ぐるみで、いろいろな場所に旅したり、九州気骨の会のメンバーがかけていく時にいっしょに忍んで酒を飲んだりした。
わがままな男たちの中に咲くやさしい花の風情があった。
人それぞれに運命があり春夏秋冬があり、みなあの世に帰っていく。
散る時期が少し早い感はあるが、白い侘助を掛花に投げ入れた時など、あっという間に落ちる。
そんな刹那で無常な人生をあらためて思い知らされる。
侘助のようにきれいな人だった。
年下の親友を慈悲深く「ぼく」と呼び、息子ふたり、息子みたいな彼を入れて3人の男子を育て、元服させた功績はでかい。
いい人、美しい人から召されるのか、がてんがいかぬが、これもまた人生か。
鎮魂。