寒山拾得の教え、というのがある。
「うめ星」の説明を書いたわら半紙のチラシに、あだっちゃんが毛筆で揮毫してくれた。
寒山は文殊菩薩の化身でいつも筆をもっている。
拾得はお寺に拾われたのでその名がつき、いつも箒をもっている。つまり典座(てんぞ)でお寺の掃除や料理を担当した。
普賢菩薩の化身と日本人は信じていて、寒山拾得を知らないのは、日本人ではない、とまでいわれた。
お坊さんや禅林たちが、好んで描いてきた。
茶人も床の間に軸をかけた。
粗衣粗食で天真爛漫な姿は「足るを知る」ということや、「自分の天真(本心良心)にウソをつくな」を教えてくれる。
日本人が中国に旅行をするとき、蘇州の寒山寺を訪れるのも、そんな由縁。
♪鐘がなります 寒山寺・・(蘇州夜曲)
バブルがはじける時代の変わり目のころ「寒山拾得」のギャラリーを始めた。
ある日、新宿でIT企業を営む友人ふたりのところに、行商にいった。
半ば押し売りである(ふたりともそういった・笑)
Aという社長がある日、「あの絵を押し売りされてから経営も順調になった。
できたら縁起をかついで株主になってもらえませんか」と打診され、喜んで株を買わせていただいた。
そこの会社の20周年の祈念式典に呼ばれ、お話をさせてもらい、記念品は久保さんの斑唐津の夫婦茶碗をくばっていただいた。
依頼20年近く、毎年10%くらいの配当をいただいている。
絵と陶器が取り持つ不思議な良縁のお話。
もうひとつはBという会社に嫁いだ。会社には、会社の「運」というのがある。
ほとんどが社長の本来もっている「人間力」による。(順受の会の松田先生が教えてくれた)。
その会社が沈みそうになった時、「増資をするのでお願いします」といわれ、あげるつもりで少しお金を貸した。(本人は増資なので、借りる、という意識はないと思う。)
半年もたたず、その会社は倒産し、Bと同郷で親友だったAとも、お金の貸し借りの問題があり、縁がきれたみたいだ。
先月、10年ぶりくらいに新橋の盛り場でBと飲んだ。
久しぶりなので、元気のいい姿を見せたかったんだろうが、「海外旅行」とか「貯金」の話までされる。
酔った席で「そんなにいいのなら、あの時のお金かえして」というのも子供じみているので、日をあらためて、メールで打診してみた・・・わずかな円(お金)で縁が切れた。
「人には、それぞれ「こころレベル」があるので、自分の価値観を同じように押し付けてはいけない」というのが中学校の時に、頼山陽の詩を教えてくれた福田先生の大切な教えだった。
60を過ぎても、中学校の時に教わった勉強をしている。
お金とか男とか女とかの勉強は一生かかるものだ。
寒山詩で代表的な詩に「白雲は幽石を抱く」というのがある。
白い雲が、山をつつんで一体になっている風景を寒山がそうよんだ。
大自然の神さまは、石も山も木も鳥や虫・・・生きとし生きるもの、みな家族だ、というような意味か。
この丸い地球に、縁あっていろんな国や人種の人が住んでいる。
戦争をしかけようとしている国、国境を越えて自分の土地を確保しようという国、ミサイルで脅す国、それに制裁をかける国・・・・みんなこの星に住むおなじ人間であることをわすれているようだ。
原発も原爆もいらないのではないか、という意見が大多数でありながら、そうならない現状を?と思いながら今年も暮れていく。
漱石の草枕ではないけど、そろそろ「引っ越し」を考えたくなってきた。
感謝・野村拝