2018/01/04 (1007) 『犬年がスタートした。・・・ 』

犬年がスタートした。

今年は「ひとり」がテーマか?

人はひとりで生まれてきて、ひとりであの世にかえる。

「自分で年越しそばを打つ」というイベントを年末3日、朝から晩までやっている。

 

ひところ「退職後は蕎麦打ちをやる」ような男子が多くて、町中に「そばもん」があふれるかと思いきや、さにあらずで、そば打ちのカルチャーセンターなどが憂き目を見ている感があるが、また時代の振り子がふれたのか、若い女子たちの間でひそかに「そばやってみーへん」という話がふえているようだ。

とにもかくにも「めどき」が続き、女が強い時代が続く。

 

そんなこともあって、年末の「そばもん初心者」も増え、昼ごはんもコンビニのおにぎりとか、昨日はストーブでイモをふかしてすませた、そんな具合である。

ラジオでは古い昭和の曲が流れていて、さながら「昭和の長屋」を醸し出す、そんな中でもそば打ちだった。

 

ある建築家は、「そばも美しくなくては」と、切ったそばを芸術的に並べ、小学校の音楽の先生はラジオのナツメロを歌手のようにうたいながら、めん棒を動かし、看護婦さんはカウンターで話される「糖尿病」の話などに、アドバイスをくれながらそば切りをやっている。

割烹着て蕎麦を打つ茶の同心は、「茶事にそば」とばかりに真剣にそばと対峙していた。

いろいろおもしろいことが今年もおきそうな予感。

 

百人いれば百種類の「そば」がある。

 

「年越しそばおいしかった」というメールもいっぱい。

とくに「自分で打ったそば」は「世界一のそば」だと銘々が自信をもっていいと思う。

太い細いは、問題ではない。

唯一無二、他とは違う「もの」がそこにあればいい。

 

うちの師匠が「そばは、自分のために打つものです」という名言を残した。

自分の本心良心と対話する時間を「孤高の時間」といい、あるいみ「孤独」とは、そのあたりの心境をいうのだと、今朝の新聞にも書いてあった。

「ひとり」の時間が自分のこころを見つめる貴重な時間。

「孤独」と「寂しい」は似て非なるものらしい。

正月から「目からうろこ」これから甥っ子たちと、「すし大会」。

うろこを落とす包丁を用意したところ。

 

Alone,but not lonely   ひとりだ、でも寂しくはない。

 

このAloneの「ひとり」は、サムシンググレート(自然)と繋がる自立したひとりの自分。

 

南島原や能登に「蕎麦打ち」などで出向く時、必ず「すし会」をやる。

教育とは、食の分野でも「共育」だと痛感する。

みんなで協力しながら、同じものをいしょに楽しむ。

こんなに素晴らしい「食育」はない。

「そば」「茶」「すし」が紡ぐ不思議な縁が優美に静かに広がっていく・・・そんな初夢を見た。

 

「うめ星」を枕の下に置いて寝ると、不思議な正夢を見る、そんな声があちこちで聞こえる。

今年は「星」もキーワードかもなんばん。

わんちゃんたちの首輪にもきっとぶらさがっていくに違いない。

 

昨年ブームになった「人生フルーツ」のご自宅も、「建築家はワンルームの建築によって記憶される」という言葉を残した著名な建築家に従い、大きなワンルームだった。

そうすると、いろいろな無駄もないし、生活動線もよく、雑然とした部屋も自然な感じになり、外の枯葉なども入ってくるけど、これも自然らしくなる。

どうかすると庭にいる犬も部屋に入ってくる・・・これがほんとにワンルーム、なんちゃって・・

感謝・野村拝