2018/02/14 (1008) 『義経とわらび姫の悲話・・・ 』

義経とわらび姫の悲話にひかれて、最近能登病も慢性になってきた。

 

今日も味噌つくりがあるので5時にお店にいって、ストーブに大豆を一日つけた寸胴をのせる。

低温で「ゆっくり」時間をかけた手間が、大豆をおいしくするのです。

それから蕎麦を打ち、いつものように家にもどり、これを書いている。

 

昨日は「巫女っちゃけん」のみこちゃんが味噌作りに参加。彼女の両親は、天真庵のイベントで知り合い、結婚し、みこちゃんが生まれた。

その後に味噌をつくったのは5歳になる「たつき」君。二歳から手伝っているので三年目の味噌つくり。

人生の半分以上を味噌つくりに費やしている。味噌人生。ここの両親も天真庵で出会った。

 

昨日味噌つくりが終わった後、湯豆腐でぬる燗を飲んだ。「惣花」という灘の酒。ぬるめで燗にすると美味い。

鍋には「ギマサ」も入れてみた。昨年の夏に「能登そばUFO」という新作そばにいれた海藻。

 

ホンダワラの若い芽で、能登半島では「義馬草」(ギバサ)と呼ぶ。壇ノ浦で平家を破った義経は京に凱旋し、不思議な縁で、平家の重鎮、平時忠の娘の「わらび姫」を妻にした。

そして誰もが知るように、その後兄頼朝の嫉妬により、奥州にのがれた、とされる。

その時、平時忠とわらび姫は能登半島に流された。落人になった義経は、最後の別れをと、能登に立ち寄った伝説が能登にはあまたある。「義経の舟隠し」という夕陽が美しい場所があったりする。

 

ギバサ、とはその時、義経の馬に海藻のホンダワラを与えた、という「義経の馬の草」として、今も能登では呼んでいるのだ。

 

厳しい能登の冬を連想させるようなギバサをつまみに、ぬる燗を飲む。義経とわらび姫の悲しい話が五臓六腑に涙のように染みるのである。

 

半官贔屓の日本人はいつまでも義経が大好きである。

 

 

感謝・野村拝