3日間能登で暮らした。
里山にはうぐいすが鳴き、梅に続き桜が満開だ。
棚田には水がはられ田植えの準備。
絵や陶器などは、あらかた引っ越しができた。
「美術館」としては、必要なものが揃った感じ。
近所の家に江戸のお菓子をもって挨拶にいった。
最初の家のおばあちゃんが、「こんな田舎やけ 何にもないよ」といって、今朝取りのワカメとさざえを10個くれた。
いきなり豪華な原始的なぶつぶつ交換。
無一物、すなわち無尽蔵。
次にいったおうちのおばあちゃんは野良仕事の恰好ででてきて、「さっき山で掘ってきた。なんにもないけど・・・」といってタケノコをくれた。
今晩のおかずが「さざえのさしみ、わかたけ煮、わかめのサラダ・・・」
いきなり地産地消の贅沢な夕食になった。
浦島太郎にでもなった気持ち。
住んでいる場所の近くの小高い場所にあがり、そこから見える場所のものを食べる。
何の不足もない。
縄文のころから、日本人はそんな生活をし、そこにいる神様たちに感謝しながら生きてきた。
次の日、能登富士といわれる高爪山が青い空を借景にいい具合で目の前にあった。
前田利家ゆかりの神社・高爪神社が近所にある。
奈良時代は渤海船、江戸時代は北前船もこの山を目印に航海した歴史もあり、海や山のあまたの神がおられるような神社だ。
石段をコツコツ歩いてお社にいき、帰ろうとしたら、下からゆっくりとのぼってくる仙人みたいな老人とすれ違った。
「おはようございます」と挨拶したら、「どちらから・・?」と聞くので「東京です」と答えた。
「F宮司さんはそこにいますよ」いってほほ笑んだ。
びっくりした。東京から初めてきた人に、自然に「F宮司・・・」
実は、ぼくの親しい友人の親友がFさん。
お参りした後に、挨拶にいく予定だったのだ。
この神社は昔は「鷹爪神社」と呼ばれていた。
仙人たちが鷹にのっていききしていた神域でもある。
そのうちぼくも鷹かUFOにのって、能登上空を散策してみよかしらん。
義経の舟隠しやヤセの断崖なんか上から見ると素敵だろうな。
わらび姫といこうかな・・
感謝・野村拝