サツキ・キリシマツツジ・藤・・とくに「能登の里山」は、藤の花盛りだ。
常緑樹の杉が半化粧というより、緑が見えないくらい咲いている。
ついこないだまで半世紀ぶりの大雪が信じられないくらい自然はすごい。
能登には縄文真脇遺跡というのがある。
5000年も定住した跡が残っている。
彼らは「藤の花が咲くとイルカがくる」というのがわかっていて、それを食べながら命を紡いできた。
縄文人は「米」をまだ知らないので、狩猟をしながら移動して暮らしていた、というのが定説だが、能登ではそんな教科書を書き換えなくてはいけないような先人の英知の跡と、自然の畏敬する「祈り」みたいなものが今でも残っている。
縄文土器もそんな暮らしの中で生まれた祭器なのだ。
里では「霧島ツツジ」があちこちで咲き乱れている。サツキ科の花で、5月にまぶしく咲く。
「霧島」という名前は、北前船の時代に、九州との縁ができたのではないだろうか?
能登で魚や野菜を売っている地元のスーパーに「どんたく」というのがある。
これもほんなつこつ不思議な名前。昔から能登には博多っ子純情くんが住みついたりしたのだろう。
また今は「田植え」の季節で、家族や集落のひとたちが協力しながら一生懸命に田植えをしている。
泥だらけになった指で、スマホをやりながら笑っている青年を発見。
移住、もしくはこの時期だけ都市からもどってきて手伝いをしながら、街娘と恋文メール?
なんとも今風で微笑ましい!「福」という字は田圃でとれた米を神に手向ける、という字。
そんな自然の神さまに感謝するような日常が能登にはいっぱい残っている。
能登町にある「梅茶翁」の梅林も、11月に剪定したかいもあり、元気に冬を越し、花を咲かせ、小さな小梅ちゃんが梅林ガールズたちとの再会を待っているようだ。
傍らに咲いていたサツキと小さな若竹を久保さんの絵志野の花器に投げ入れた。
「ひとつ」の花があるだけで、部屋の空気が凛とする。
同じように、「ひとり」がいるだけで、その場の空気が明るくなる。
五月病なる病もあるが、サツキ(五月)は、大好きな花だ。
「寒山拾得美術館」も夏祭りまでにはオープンさせたいと思う。
感謝・野村拝