七夕の昨日仕込みをしていると、近所のみかみくんがふらっと赤い自転車にのってやってきた。
シャイな性格なので、普通に営業している時にくることはほぼない。
「だって、貧乏してて500円払うのもったいないもの・・」とおかま言葉でのたまう。
このお店が始まったばかりのころ、華道家の原田先生を紹介してくれたのは彼のおかげ。
「いっしょにやるか?」というと、「私まったく実技に興味はありませんの」と馬耳東風。
一昨年のある日、「百年の梅仕事」という本をもってきてくれた。
「これ大事な本なので、読んだら返してね」とのこと。その数日後に奇しくも能登から梅がおくられてきた。
「梅林ガールズ」がそこから始まる。まったく不思議なおとこ(おかま?)だ。
「私おんな好きのおかまなの」と自称し、普通の人間の目線からいうと「奇人変人」の最高峰にいそうな彼だが、神の目線でいうと「普通」なのかもなんばん。
昨日はの茶事の本と、掛け軸をもってきた。
「掛け軸はタダであげる。能登に飾ってちょうだい。この本は15万でゆずってあげる」といってニヤっと笑った。
曹洞宗の高僧の軸だ。寒山拾得の拾得は箒をもっている。お寺に拾われ、掃除や雲水たちの料理を担当する「典座」(てんぞ)である。曹洞宗の始祖「道元」に「典座教訓」という本がある。
彼が中国に修行にいった時、老僧のような典座が、南里もの道を歩いて港に「しいたけ」を探しにきていた場面にでくわし、若い道元が「あなたのようなベテランがなぜわざわざ・・」みたいなことを質問したら「あなたは、まだほんとうの修行の意味がわかっていないようだね」といわれ、悟ったようなところがある。
とても印象的な場面であるし、人生の示唆を含んでいる。
道元さんの代表的な本が「正法眼蔵」
その中に「梅華の巻」というのがある。
とにかく、道元さんは、お茶・座禅・トイレ・料理・・・
など日常のなにげない中に「禅」を求めた。
人間が悟りの瞬間を感じる時、汝と私という垣根がなくなる。それはまるで梅の花が熟し開花し、あたりに清らかな香りを放っているような調和された世界である。
昨日から「梅仕事が始まった」。ほんとうにすばらしい梅の香りが漂っている。生きとし生けるもの、森羅万象、おひとりおひとりが「個の花」を咲かせ、調和のとれているまんだら世界・・・
そんな香りに抱かれているような毎日。
今日も「梅仕事」。朝から選別におわれている。
夕方は「蕎麦打ち」&「すしにぎりの会」
梅経寒苦発清香
「梅は寒い苦(冬)を経て精花を発す」 自然や花に学ところ多し
感謝・野村拝