2018/07/29 (1016) 『「崖の上のポニョ」の舞台・・・ 』

になったのが、広島の鞆の浦。

風光明媚な港町。

能登の寒山拾得美術館も、最初は「崖っぷちに立つ美術館」というのが有力候補だった。

行政にも頼らず、お客さんや時代におもねらず、いつも崖っぷちに涼しい顔して立っている、

・・そんな美術館があってもおもしろいのではなかろうか?

話がそれた。

鞆の浦出身の建築家で「藤井厚二」という建築家がいた。

明治生まれで、東京大学の建築をでて、京大の先生をやった人。

夭折で49歳で召されたので、作品は少ない。
京都の大山崎、サントリーのふるさとみたいなところに、「聴竹居」(ちょうちくきょ)というのが残っている。
彼が自邸を、「暮らしの実験室」のようにしてつくった和洋折衷の家。

関東大震災で、壊れた仕様建築を目の当たりにして、「この国にあった建築を」の思いで、実験的に立てたもの。

「イス・テーブルに座る」というのと「畳の部屋」というのは背反する。
その背反を、同じスペース、もしくは襖でしきる、というテーマでしつらえた空間は見事である。
そしてなにより大切にしたのが「気の流れ」。最近の家には、それがまったく感じられない。

お茶はお花の世界でも「立礼」(りゅうれい)というのが今後のテーマ。

畳に座ってお茶事などをやっていると、風流な気分の前に、足がしびれて通風みたいに痛さが体中をふきまくる。
でも、掛け軸、花、絵・・・日本の家は「坐ってみる高さ」におかれてある。

それが大きな課題。
京都や江戸も、「昔はちゃんとした料理屋」だったところも、床の間がある部屋にテーブルが並べてあって、床の間の軸はそのままで、デコボコして、入れ歯で和食をナイフとフォークで食っているような茶番が日常になってきた。それを日常茶番、という。

 

「床の間」について藤井さんが残したこんな言葉がある。

床の間では、そこに目を留める人への啓発のためにふさわしく配置された品物によって一種の無言劇が演じられている。

聴竹居の床の間には、彼が大好きだった池大雅の書がさりげなく飾られている。
天真庵には大雅はないが、ときどき奥様の玉蘭の軸を掛けてお茶をやることがある。

 

感謝・野村拝