30年9月「悠玄亭玉」

昨日の朝、「たまちゃんが今朝なくなった」と応援団の医院長から電話をもらった。
1929年6月30日生まれだったので、享年89歳。

時分の花ではなく、失せざる花(不失花)のような人生だった。

生まれてすぐ親に売られ、花街に預けられ、芸を仕込まれる。

浅草芸者として活躍した後、悠玄亭玉として浅草などで女幇間として人気を博した。

4年くらい前のある日、赤く染めた髪、裸足に粋な下駄はいたおばあちゃんがひとりで入ってきた。

彼女が引っ越してきた日。
 「前通ったら、コーシーのいい香りがしたんで、たまらなくなったわよ。入れてちょうだい」からドラマが始まる。

それから3年くらい、毎日蕎麦を手繰りにくる。

6月30日には「誕生日ライブ」をやった。
 天真庵のHPの「長屋Live」に写真がのこっている。

昨日は「おんなかっぽれ」。

そもそも幇間芸とは、お座敷で、芸者さんがくるまでの時間をとりもちながら、かっぽれや小唄や都都逸で、笑わせたり楽しませたりする芸。
 三味線や太鼓や笛、即興の機転も必要とするし、そもそもまぬかざるお客でありながら、出番と居場所をつくり、という、お座敷芸の中では最高峰のむずかしい芸だ。
 「おんなかっぽれ」の教室がうめれたのも、たまちゃんがくるようになった縁だし、 不思議な月曜日の日、卵かけごはんに3人の女性が別々にきて、彼女たちがその日にたまちゃんの三味線の弟子にになった、卵かけごはんが、芸者の卵を3つ産んだ。

「不失花」(失せざる花)というのは、世阿弥の秘伝書「風姿花伝」の中にあることば。
 能役者であり演出家であった彼は、「花」を大切にした。

若いころの花は、みずみずしく、勢いも あるけど、それは「時分の花」にすぎない。人は年おいても、一枝の花を持つことが必要である。

そのためには、毎日を精進しながら稽古を続けること。

この「花」は、芸術家や役者にとどまらず、 一般人にも必要な花のような気がする。

世の中には、まこと「花のある人」とそうでない人にわかれている。
その差は、生まれつきのこと、だけではないのかもなんばん。

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