一週間まるまる能登で過ごしたので、だいぶ片付いた。
梅林ガールズたちのスケットもあり、倉庫(車庫)も整理され、三輪福さんが染めに使うというので、倉庫に眠っていた二層式の洗濯機も片付いた。
少し時代遅れ、型おくれでも、「使い方」によっては宝になる。
能登の人たちは、わかめや義馬藻など海藻を自分で収穫し、それを竹の長い笊で干す。その前に二層式の洗濯機の脱水機を使う、という裏技も教えても
らった。
畑は倉庫の裏と、美術館の裏に各100坪ほどある。倉庫の裏は、5年くらいほったらかしで、背高泡立ち草とすすきでぼうぼう状態だった。
よくよく観察してみると、このふたつの植物は共生しているように、同じ場所で生息している。
でもほんとうは、背高・・のほうがすすきを駆逐する成分をだしているらしい。
でもそれは強い毒?なのでけっきょく自分もやられてしまう、とか。
まるで、核を保有したがる人間のおろかしさ、にも共通するものを感じた。
2時間くらいかけて、それらを鎌(かま)でかりとった。
蔓(つる)でおおわれたところを手でたぐってみたら、下に大好きなサツキがでてきた。
これは共生か寄生かわからないけど、サツキは元気でおもわずこちらもニッコリ。
その後は、鍬(くわ)で大地を耕した。能登では鍬は先が平たいものと丸いものがある。
地域によって「土」の硬さが違うので、使いわけているらしい。
倉庫にあったものは平たい方だったので、この界隈はそうなんだろう。
鍬(くわ)の横には鋤(すき)がふたつあった。じゃがいもなど収穫するときに鋤を使う。すきやき・・も鋤からきた。
先人たちは、道具を大切に、いろんな用途別に「使いこなす」智慧をもっていた。
大分に広瀬淡窓という偉い儒学者がいた。「咸宜園」(かんぎえん)という寺子屋に全国から志の高い若者が集い、新しい日本の土台をつくった。
彼が読んだ唄に
「鋭きも鈍きも共に 捨てがたし、錐(きり)と鎚(つち)とに使い分けなば」
というのがある。道具も人も「使いどころ」「出番」というのがある。
そんなことばが汗といっしょにでてきた。
感謝・野村拝