2018/11/25 (1020) 『京都下賀茂神社の・・・ 』

京都下賀茂神社の中に「糺(ただす)の森」がある。

「からふねや」の本店が近くだったので、毎日のように散策していた。

中国人たいが占領しているような街になってから、まったく京都にいく機会が減ったけど、あの森はときどき歩いてみたくなることがある。

緑と水は、人やこの星に同居する動物たちにとって、心身ともに大事なオアシスだ。

昨日は織田流煎茶道の同心たちが蕎麦を手繰りにこられ、能登の話で盛り上がった。

お茶を入れる、というのも「水」があり、緑(茶花)を愛でたりすることだ。

手前やなによりも、自分と向き合ったり、人の顔を見ながらふれあっていくのがよろし。

今朝も蕎麦打ちの後、香取神社にお参りし、古本屋カフェを準備中の友達の家を曲がり、「ハラヘル」の前を通り、キラタチ(キラキラ橘商店街)にいくと、「朝イチ」をやっていた。

この通りは以前は日本で一番人口密度が多い商店街だった。

長屋の一階が仕事場で家族総出で「ものつくり」をやり、汗をかいた夕方には銭湯にいき、湯上りに珈琲牛乳を飲み、キラタチで晩御飯のお惣菜を調達し、長屋の畳の間で、ちゃぶ台にて夕餉、というような暮らしが一般的だったと思う。

ぼくが生まれ育った北九州も、新日鉄という大企業の城下町だったけど、関連した会社や中小零細の工場もあり、溶鉱炉の火を消せないので、みな三交代で「甲乙丙」組にわかれ、24時間働いていた。

朝仕事が終わる人のために、朝から「角打ち」(かくうち)という立ち飲みの飲み屋がたくさんあって、労働者たちでにぎわっていた。

みんな貧しかったけど、明るい未来を信じて、日本人そのものが、大きなちゃぶ台を囲む「大家族」のような感じやった。今は昔である。

「自然が最高の脳をつくる」(NATURE FIX・NHK出版)を読み終えた。

人生観を変えさせれれる本だ。2008年を境に、都市に住む人がこの星の中で50%を超えたらしい。

みんな「便利な暮らし」にあこがれ、国としてもGDPとか、経済の効率はあがったらしいが、過酷な競争などで、こころを病む人が増え、振り子がふれようとしている分水嶺みたいなんが「今」。

フローレンス・ウィリアムズという女性の著であるけど、訳がいい。

12章だったか・・・都会にいて、大自然の力を享受することは不可能だけど、「一本の木」を愛でるだけでも、心がほっとする、ようなことが書いてあり、最後にこう結ばれていた。

「さよならだけが人生だ」という名訳もあったが、それにも匹敵する名訳ではなかろうか。

「樹木は地球のお役に立つべく、すでに気をつけの姿勢で立っている」

「いずまい」を糺したくなり、星野村の玉露を入れて一服。

日々是好日の茶。

感謝・野村拝