2018/12/06 (1021) 『雅子のライブは、昨年・・・ 』

雅子のライブは、昨年12月23日に天真庵でライブをやってから、ほぼ一年ぶりにやった。

いつものように「おはようございます」と笑顔で入ってきた瞬間に、大きく見えた。

昨年のライブの直前に、お父様の危篤の電話があった。(今年一月二日に旅立たれた)

ピアノの弾き語りなので、お客さんに背を向けながらのライブだった。

自分が歌う一曲一曲が染みて泣きながら歌った。

「わが胸のふるさと」を歌った時は、涙がとめどなく流れた。

ぼくは典座のように厨房から垣間見ながらもらい泣きした。

 

ライブが終わるまでお父様のことは伏せていた。でもお客さまの「こころ」に届いて、みんな涙した。ほんと涙がとまらなかった。

新しいCDのデモ版を聴いた。今度のCDにも「わが胸のふるさと」が入っている。

でも、前のアルバムのそれよりも、ずっとよくなった。

「国貞雅子」のHPに巨匠大石学のピアノで歌う映像がある。今月24日にリリースされるので、それを買って、聴き比べてほしい。

「声にもオーラとか気とか波動がのる」ことがわかる。

昨日のライブの「大家族感」は、そんな悲しい人生をみんなで受け入れた「経験」なんやろね。

 

自分で野菜をつくったり、やさとの「くらしの実験室」あたりの新鮮な野菜を食べると、そこの「土」や「根粒」と、自分の体の中の宇宙が一体になるような感覚になる。

 

いい音楽も、同じように、体中の細胞を一瞬にして元気にしてくれるような「何か」がある。

こんどの「なんやら」(タイトルはわすれた)いうアルバムは、次の時代を生きていく上に元気な道しるべになってくれるに違いない。

 

ちなみに、国貞雅子は、11月にブルーノートで名曲「トゥナイト」を絶唱した。

作曲者であり、レジェンドの「ディブ・グルーシン」が来日した時、白羽の矢が飛んできた(本人のコメント)。

それを見に行ったファンは、また泣いたらしい。

人間はあっと驚くような後に、こころに染み入る感銘を受けるようになっている。

 

明後日土曜日は巨匠・大石学さんがライブをやってくれる。国貞のピアノの先生でもある。

 

2007年の4月に天真庵が押上に結ばれた。親友のワカが、次の年に国貞を連れてきた。

そして、ワカは2010年に風のように56歳で召された。

2011の春に、隣のトトロみたいに隣の隣に住んでいたセシルモンローが大石学のCDをもってきて、カウンターで「クロキリ」を飲みながらいっしょに聴いた。

初めて聴く大石ワールドに酔っていたら「オオイシがテンアンでライブやりたいいってるよ」という。

夢のようだったけど、7月に実現した。

それから数日後の夏休み最後の日曜日、大石学トリオのドラマーだったセシルは館山の海から天国に召された。

確かワカと同じ年やった。

それから毎年「海の日」は、大石学ソロライブをやっている。

不思議な縁だ。

大石学ライブに聴きにきた国貞雅子が、ピアノの師弟関係を結ぶ。

 

親子は一世 夫婦は二世 師弟は永世

 

人の命は一度きりだけど、死んでも未来永劫つながっていくものが「音楽(芸術)」にはある。

せっかく授かった命なので、生きている刹那に、永劫につながる美しいモノやコトを何かひとつ残していきたいものだ。

この世で無駄のない縁で繋がれた人たちとは、きっとあの世にいっても会えるもんだと信じたい。

 

感謝・野村拝