2019/03/30 (1024) 『昨日は、山根さんの・・・ 』

昨日は、山根さんのクラリネット、藤田さんのピアノの音楽会。

「天国の君たちへ」とプログラムにかかれていた。

山根さんの同級生で音楽仲間で、天真庵のライブにも何度もきてくれたおふたりが今年はじめに、黄泉の国にいった。

享年53歳。

山根さんは天真庵で25回目。

藤田さんもかなりやってくださっている。

3年くらい前、宇部でこのふたりのコンサートがあった。

そのころ毎月宇部から古流のお花を指導にきておられた原田先生。

山根さんや赤松林太郎くんなど一流の音楽家たちも、安重のはさみをもって花を習いにきた。

そのお礼に、原田先生夫妻を招いたコンサート。

それから一年以内に原田先生が昇華された。花のような人生やった。

その後指導にあたってくれた武内さんも、一昨年の暮れ58歳で召された。彼女も華があった。

最初のころの弟子に「ワカ」もいた。天真庵がライブハウスみたいになるきっかけをつくってくれた。

彼も56歳の時に旅立った。IT業界の重鎮だった。

桜の咲くころというのは、昨日も書いたように別れの季節でもある。

春爛漫という空気とうらはらな悲しさがある。

音楽も、刹那というか、その瞬間に消えていく芸術。

人が生き暮らしていく中で、恋をしたり、失恋したり、家族や恋人を失くしたりする煩悶や苦悩を表現したものが多い。

そんな音楽を作曲したひとも、聴いているぼくたちも、みんな100%死んでいく。

死があるからこそ生きている毎日の刹那が輝いているのではあるが。

マリアカラスの十八番(おはこ)だったサン・サーンスの花劇「サムソンとデリラ」の「あなたの声に私の心は開く」やモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の「さあ、窓辺においで」など、情熱的な恋の中にただよう耽美の世界を昨日は桜とおなじように逍遥するような音楽会やった。

願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)

昨日は、誰もが、そんな心境を味わったに違いない。

 

感謝・野村拝