2019/04/23 (1026) 『平成最後の「染めもん展・・・ 』

平成最後の「染めもん展」の会期中にしゃが(著莪)が咲いた。

アヤメ課の常緑樹で、春にはアヤメのような白地に青の華憐な花を咲かす。

一昨年のクリスマスに、58歳で召された「たて花」の先生・武内由紀子さんの置き土産だ。

 

彼女は、染めもん展の河野さんと同じ京都造形芸術大学出身やった。

友達の三上くんが押上に天真庵を結んだ直後に紹介してくれ、二階で彼女の師匠の原田耕三先生が「生花」(しょうか)の指導に毎月宇部からこられるようになった。

竹の寸胴(ずんどう)に枯れ枝をVの字に削って「くばり」を入れて、そこに葉蘭を生ける、を基本とする生花と立花。

 

まさに生け花は、その花を生かせて、たてたり、きったり、ためたり(矯たり)しながら、茶室やお部屋の中で「生かす」芸術である。

そんなこともあり生前原田先生は天真庵に飾ってある白井晟一翁の「生」をこよなく愛した。

白井晟一翁の揮毫した書「道」というのも、能登の寒山拾得美術館に飾ってある。

 

原田先生の先生は、伝説の花人「岡田幸三」先生。池袋時代の天真庵の屋上に小さな「庭」をつくった。

その「庭」が和楽に紹介された時、岡田先生の花の記事ものっていて、「いつかこんな人に花を習いたい」と思っていた。

東京芸大を卒業したばかりの版画家であり、庭師の長崎剛志くんがやってくれた。今は海外でも活躍するアーティストになった。

能登の家の玄関には、彼の卒業記念の大きな版画が飾ってある。

 

岡田先生の「花の伝書」というのは名著だ。時々、葉蘭を生けよう、と思ったりする時に本箱から出してくる。

世阿弥の秘伝書「風姿花伝」に由来するような命名。

世阿弥は、能楽の土台をつくった人で、演出家、美学者でもあり、ミケランジェロのような天才でもあった。

彼は日常の「花」の大切さを説いた人でもある。よく京都の茶室などに「不失花」と揮毫された軸が掛けてあったりする。

「うせざるはな」という。花の色は移りにけりな・・・とうたった美人もいたが、それは「時分の花」歳をとって、おっぱいが垂れたり、しわくちゃになったり、髪がうすくなっても、「生涯枯れない一枝」を持っていきなさい、という意味だ。

 

それには、毎日毎日繰り返される精進と、時にはバカになったり、狂い咲きするくらいの情熱をもちなさい、とのことだ。

まさに、人生の秘伝書かも。「もっと美しく生まれたら」「お金があったら」「素敵な彼(彼女)がいたら」・・

そんな尺度で「幸せ」を計るようなおろかなコトは、令和が始まるまでに捨てたほうがよさそうだ。

 

「今ここ」が大事であり、「まだ見ぬ自分の可能性を信じる」ほうがいいと思う。

 

 

 

感謝・野村拝