令和元年の「長月の初日」にシャンソン。
昭和という時代は、モボ(モダンボーイズ)とかモガ(モダンガールズ)とか時代の先端を走る人たちが、銀座のシャンソン倶楽部に集っていた。
彼らが、銀座をブラブラと闊歩する姿を「銀ブラ」といった。
諸説あるけど、当時はカフェも銀座にあまたあって、そこで「ブラジル」を飲む、つまり「銀座でブラジルを飲む」ことを、「銀ブラ」といったという説もある。
モボがブラジルを飲むので、天真庵の珈琲は「モボブラジル」という。ウソ。
昭和の往年の大スター(プロレスやけど)力道山のライバルに、ヘッドパッド(頭ずき)を武器にしていた「ボボブラジル」という悪役だけど、日本人に愛されたレスラーの名前から拝借した。
「昭和が遠くになってきた」証拠に、このあたりの話についてくる人も少なくなった。
福岡出身のタモリがネタにしていたけど、九州人は「ボボ」という言葉は女性器を意味する方言で、口にだすと博多っ子純情よろしく赤くなるのでタブーやった。
当時の九州のスポーツ紙には「ポポ・ブラジル」と書いてあった、という話で笑いをとっていた。
しろうとさんのセックスまでネットに流れる時代に、まことに伝説のようなお話ではあるが・・・
昨日のシャシンソンのお客様は、平均年齢がたぶんぼくよりも少し上で、初期高齢者よりちょっと上あたりだったのではなかろうか。
シャンソンやボサノバを「生」で聴いてきた世代。
「みんなで共に楽しむ」をこころえていて、楽しみが倍音以上に響き伝わっていく「幸せライブ」やった。
昭和歌謡といい、その時代のうたは、男と女の物語が、イキイキと表現されていて、こころに染みる。
英里さんのシャンソンは、春と秋にやるようになった。
最初は春だけでったのが、2年前のドラエモンの誕生日の日に、わたくしの還暦のお祝いの日に重なって、それから秋はその前後にシャンソンをやるのが「ならわし」になりつつある。
2年前のシャンソンの前日(つまり9月2日)に、まったいの奥さんが昇華された。白侘助のようにきれいな人やった。
先週まったいと酒を飲み、梯子をして、最後は有楽町で飲んだ。千鳥足で肩くんで「わびすけみたいやったな」と繰り言をいいながら歩いた。
「銀わび?」美しい人、いい人は、どうしてはやく召されるのだろう?今日は三回忌。
先週の木曜日にも、仕事で銀ブラ。
4丁目の交差点の雑踏の中で、春風駘蕩というか五月の風みたいな人の気配がした。
新しい時代が幕あけされた。
春風のようにさらさらと、たださらさらとこの流れを風雅に楽しんでいきたいと思う。
「人も変わる、街も変わる。」昨日もそんなシャンソンの名曲をうたった。
でも「ずっとかわらないこころ」という妄想の中に人は生き暮らしている。
感謝・野村拝