2019/09/02 (1030) 「令和元年の「長月・・・」

令和元年の「長月の初日」にシャンソン。

昭和という時代は、モボ(モダンボーイズ)とかモガ(モダンガールズ)とか時代の先端を走る人たちが、銀座のシャンソン倶楽部に集っていた。

彼らが、銀座をブラブラと闊歩する姿を「銀ブラ」といった。

 

諸説あるけど、当時はカフェも銀座にあまたあって、そこで「ブラジル」を飲む、つまり「銀座でブラジルを飲む」ことを、「銀ブラ」といったという説もある。

モボがブラジルを飲むので、天真庵の珈琲は「モボブラジル」という。ウソ。

昭和の往年の大スター(プロレスやけど)力道山のライバルに、ヘッドパッド(頭ずき)を武器にしていた「ボボブラジル」という悪役だけど、日本人に愛されたレスラーの名前から拝借した。

「昭和が遠くになってきた」証拠に、このあたりの話についてくる人も少なくなった。

福岡出身のタモリがネタにしていたけど、九州人は「ボボ」という言葉は女性器を意味する方言で、口にだすと博多っ子純情よろしく赤くなるのでタブーやった。

当時の九州のスポーツ紙には「ポポ・ブラジル」と書いてあった、という話で笑いをとっていた。

しろうとさんのセックスまでネットに流れる時代に、まことに伝説のようなお話ではあるが・・・

 

昨日のシャシンソンのお客様は、平均年齢がたぶんぼくよりも少し上で、初期高齢者よりちょっと上あたりだったのではなかろうか。

シャンソンやボサノバを「生」で聴いてきた世代。

「みんなで共に楽しむ」をこころえていて、楽しみが倍音以上に響き伝わっていく「幸せライブ」やった。

昭和歌謡といい、その時代のうたは、男と女の物語が、イキイキと表現されていて、こころに染みる。

 

英里さんのシャンソンは、春と秋にやるようになった。

最初は春だけでったのが、2年前のドラエモンの誕生日の日に、わたくしの還暦のお祝いの日に重なって、それから秋はその前後にシャンソンをやるのが「ならわし」になりつつある。

2年前のシャンソンの前日(つまり9月2日)に、まったいの奥さんが昇華された。白侘助のようにきれいな人やった。

先週まったいと酒を飲み、梯子をして、最後は有楽町で飲んだ。千鳥足で肩くんで「わびすけみたいやったな」と繰り言をいいながら歩いた。

「銀わび?」美しい人、いい人は、どうしてはやく召されるのだろう?今日は三回忌。

 

先週の木曜日にも、仕事で銀ブラ。

4丁目の交差点の雑踏の中で、春風駘蕩というか五月の風みたいな人の気配がした。

新しい時代が幕あけされた。

春風のようにさらさらと、たださらさらとこの流れを風雅に楽しんでいきたいと思う。

「人も変わる、街も変わる。」昨日もそんなシャンソンの名曲をうたった。

でも「ずっとかわらないこころ」という妄想の中に人は生き暮らしている。

 

感謝・野村拝