2020/01/04 (1035) 「令和2年 あけましておめでとう・・・」

「令和2年 あけましておめでとうございます」

福岡の母は、一昨年から施設に入った。妹の嫁ぎ先から徒歩3分のところにある。
認知はないけど、ひとりで生活するのは、少し心配なので本人から「いく」と言い出して、そのようにした。
でも住み慣れた家を離れて施設で暮らすことは、「100%よし」という気持ちにはならないようだ。
ぼくから携帯に電話しても、でることがない(笑)気丈な人だ。

昨日は筆子さんの実家にいき、みんなで新年の鮨パーティ。
筆子さんの母は、姪っ子とふたり暮らし。
最近認知がひどくなって、洗濯や掃除、食事などが自分でできなくなり、まわりで協力しながら、病院につれていったり、身のまわりのことを手伝っている。
「少しマイナー志向なところがある」というのが彼女のまわりの意見で、一挙手一投足にイライラすることしきり、の毎日だった。

人は年を取ると、みんなわがままになったり、懐疑心をもったり、自分の過去を振り返って「こんなに一生懸命子育てしたのに、誰もわたしの面倒をみない」ようなことをつい口にだす。
でもよくよく考えてみると、「人間の根源」のところには、「さみしさ」がデンと坐っているような気もする。
誰の人生も、きついとか悲しいこと、つらいことが多いけど、結局振り返ると、そんな苦しみとか苦労が、生きがいで、それを乗り切れたことを「わが人生」として、映画みたいにして見ているのではなかろうか。
その時、血の繋がった子供たちに対しては、少し甘えて、悪態をつきながら、繰り言のように呟いているのではなかろうか?

昨日の朝、近くのアコレで、買い物をしていたら、おかまのMくんが「あら、こんなところで・・おめでとうございます。頼まれていた本買ったわよ」という話になり、うちに時々こられるヨガの聖者さんの本を受け取った。
2000円払って「おつりはどうぞ」といったら、「わたしは1万でおつりいらない、というほうがいいわ」と笑っている。

その本を読んでいると、「女性の子宮と地球の中心がつながっている。
だから恨みとか妬みなんかがたまると、地震や天災がくるので、わたしは、それをほぐすのが務めだと思っている」ようなことが書いてあった。
子宮で考えなくても、変なことが多い昨今。
福島の原発も、「制御されてます」とは裏腹に垂れっぱなしの状態が続き、そんな環境の中で各地の原発が再稼働したりしている。
まったくもって、「どうなってんの」という話が多い。
正月早々に中近東では、また戦争の火種みたいなコトが起こったり・・・「おわり」がすぐそこにきてるのでは、という感じも否めないような年。

でも「夢」は大事。

みんなはどんな「初夢」を見たのだろうか?
ぼくは、寺子屋のようなところで、長い文机で、論語かなんかの勉強をしている夢を見た。
そう書くと、「まじめな夢」みたいやけど、横に身目麗しき女性が座っていた。
ちょっと意識して近づくと、その女性が「イヤ」だといった。居ずまいをただし、まじめに勉強していると、その女性がすぐ隣に移動してきた。

うれしくなって、手をだそうとすると、グラッと大きな地震(後でネットにおニュースで茨木で震度4  やった)で、目が覚めた(笑)
ちょっと禅の「十牛図」みたいな夢だ。
牛は追うと、逃げていく。最後は「放下」して、あるがままにしていると、人と牛の調和が保たれる。
悟りの道筋を説いたのが十牛図。
今年64になるけど、まだまだ悟りにはほど遠いようだ。

正月の時くらい、ゆっくり呼吸をして、「来し方行く末に思いを馳せ」、短い人生ではあるけれど、自分の人生をデザインしてみる、というのもいいかもなんばん。

ヨガの聖者が置いていった「不思議な水」を今年はいろいろ活用してみようと思う。

感謝.野村拝