先日、戦友みたいな後輩の訃報が、奥方から。
しばらく自宅で病気の療養をしながら、いろいろな会社の顧問をしていた。それでもよく蕎麦を手繰りにきてくれたり、
能登の家にも遊びにきてくれた。玄関に置いてある石仏に手を合わせ、「こんなのが玄関にあるのは、野村さんらしいですね」と笑った。
その時の満面笑みの笑顔が、印象的だった。
能登ワインを飲みながら、昔の話とこれからの話をする。話し尽くせず、飲み尽くせずの至福な時間。
ソフトバンクの創業のころ(日本ソフトバンクやった)、まだ東郷公園の横の半地下のマンションに、営業・出版・倉庫・・・全部入り、ごった煮みたいなところで、いっしょに仕事をした同志だ。
享年58歳。
後藤誠二くん。
ソフトバンクの元常務。
Y!モバイルの社長までやった。
短い人生やったけど、中身の濃い盛大な人生でもあった。
二日間聴いているバッハのボリュームをあげ、静かに黙祷。「営業が終わりしだい、顔を見にいく」旨を奥方に伝える。
世田谷の家にいくのに、首都高で事故渋滞があったので、下道をいく。
ナビの支持どうりにいくと、靖国神社の前まできた。
「ナビもいきな計らいをするな」と、神社と、反対側の東郷公園の方に向かって合掌。
さすがに、涙腺がゆるんでたまらない。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」、と東郷元帥が日本海海戦の時にいったように あのころはみんなよく働いた。
そのまま市ヶ谷から四谷経由で新宿を超え、世田谷に入る。
「ラーメン荘 歴史を刻め 世田谷店 」に人が行列を作っていた。
大阪から東京に進出してきたお店。ラーメンは滅多に食べないが、同じ系列で京都で3店舗やっている「ラーメン荘 地球規模で考えろ」の柳原社長も、京都のからふねや時代の後輩。
奇しくも、彼も5月に脳梗塞で倒れ、リハビリ中。
ときどき、京都弁で「まだへたったら、あかんで」みたいなメールをおくっている。まだ還暦を過ぎたばかり・・・ほんまにへたったら、しばきにいくで!
ほんの少し前、昭和の時代は、戦争もあって、男子の平均寿命が20代という時代があった。
女子も40代。
食料がよくなったとは、思えないところもあるけど、医療の発展(いらぬ世話みたいな部分もあるけど)で「人生100年時代」なんていわれている。
戦争や地球環境の変化などにより、また危うい時代の足音も近づく今日このごろ。
仏さまになった後輩の顔を見ていると、「おさきに」という爽やかな声が聞こえてきた。「ごくろうさま」と答えた。
「・・・こんど能登でタコ釣りを教えてください。
感謝」の後に、合掌している仏さまの絵文字、が最後のメールになった。
化けてでてきても、また飲みい。
そんな友との惜別の日だった。
合掌。