2025/06/03 (1048) 「長野も小倉も「精神的・・・」

長野も小倉も「精神的文化力」が高い。

先月あたりから、筆子さんが「バナナジャムつくり」にはまっていて、正式なメニューにしていないけど、黒板(正確には緑の板)に書いたら、とても好評だ。
もともとは、福岡にいる妹が、米や野菜をおくってくれる箱に、たくさんのバナナが入っていることが多く、ふたりでは食べきれないため、苦肉の策としてつくったものだが、なんとなくビンゴな感じ。

ガレットにしてもいいし、ヨーグルトにもあうし、そば豆腐にのせても美味い。

ぼくは北九州の小倉生まれなので、小さいころから

♪ねーちゃん ねーちゃん さー買って・・・

のバナナとたたき売りを、子守歌のような感じで育ってきた。
小倉城の近くに、「井筒屋」というデパートがあり、そこの一階でよくたたき売りをやっていた。
バナナは庶民には、高嶺の花の時代だ。旦過市場では、「クジラ」ばかりが売られていた時代。

「井筒」というのは、世阿弥(ぜあみ)がつくった能。
帰らぬ夫を待ち続ける女の霊を描いたもので、寂しさと喪失感に耐えながらなおも夫を待ち続ける女の情念が主題である。
デパートにそんな名前を付けるあたりが、当時の小倉の文化度が偲ばれる。
「ヤクザ」や「パンチパーマ」や「ファンキーな成人式」だけが全国区ではない、「小笠原流礼法」の原点が見え隠れする。

小笠原氏は、清和源氏の流れをくむとされる。鎌倉時代以降、信濃(長野)での影響力を強めた。後に武家の礼法「小笠原流礼法」を体系化し、小倉で花開いた。そんなことにも関係ある話を・・・・

先週、長野の「黒沢酒造」に立ち寄って、「井筒長」という地酒を調達してきた。
佐久には、IT時代からの親友がいて、会社の創業期には、毎月のように車ででかけ、鯉料理などを堪能しながら、「井筒長」を飲んだ思い出がある。「佐久の鯉太郎」という言葉があるが、鯉には「井筒長」がよく似合う。

この酒蔵の横には、「奥村土牛記念館」がある。東京生まれの土牛さんなんだが、黒沢酒造の迎賓館みたいなところに疎開していた縁もあり、そこが記念館になった。当時の日本家屋の崇高な技術がそのまま残されていて、一見の価値があるとともに、地方の酒蔵とはいえ、「精神的文化力」の高さが伝わってくる。

しかも井筒長のラベルの原画は、狩野派の絵師「河鍋暁斎(かわなべきょうさい)」 作。河鍋暁斎は、酒好きで奇行の画家とも言われ、町絵師として錦絵・挿絵など描き、風狂な風刺画などを多く残した。

この酒蔵がつくっている焼酎で、珈琲焼酎をつくってみた。千曲川の伏流水、鯉もうまくなるクラスターの小さな雪解け水で仕込む
「琥珀色の一滴」は、筆舌を超える味だ。やっぱり「UFO」で焙煎するといい(笑)

 

感謝・野村拝