2011/05/12(777) 『震災から2ヶ月がたった。・・・ 』

震災から2ヶ月がたった。

日常はかわっていないけど、ものの考え方、生き方はいろいろなところに変化がある。悪いことばかりでない。生かされていることの感謝の念なんかは数倍になった気がする。

昨日は休みだった。朝起きて、珈琲とパンで朝ごはんをさっとすませ、車で桧原村にいった。時間があると最近は、この東京都とは思えない寒村の中で森林浴を楽しんだり、鳥の声を聴いたりしている。公営の小さな温泉につかり、「一筆啓上仕り候」の鳴くホオジロのさえずりなんかを聴いていると、幸せな気分になる。

 
湯からあがると、隣接してある食堂で昼ごはん。

地元の野菜のおひたし(名前はわすれた。ほうれんそうみたいな)を酒肴に、地酒・喜正のぬる燗。お店の人が、「このおひたしは、義援金になります」 という。

200円のおひたし。そのまんまでも安いのに、それを義援金に・・すばらしい・・・などと感動しながら、「もうひとつ」と繰り返し、3皿頼み、喜正も5本を空けた。地物のまいたけのてんぷらなんか最高のごちそう。

いつも、そんな風にしながら、酔ってくると、畳の上にごろんとなって、持ち込みの本を読む。

昨日は、ヤフオクで落とした寿岳文章の「美しいもの」 を読んでいた。

著者が、東北を旅した昭和40年のころの様子が書いてある。楮(こうぞ)・三椏(みつまた)など、日本が誇る植物がある自然の中で、和紙が漉からてきた。いつしか西洋紙におされて苦戦しているけど、やっぱり和紙のほうに最終的には軍配があがるにちがいない。

こんな歌が紹介されていた。
読んでいたら、涙があふれてきた。

子が泣けば 紙漉やめて 乳をやり 寝かしつけては また漉く妻よ

小さな幸せな日常が自然に吐露されていていい。今よりも不便で
貧しい時代だったけど、いろいろなところが豊かだったような気
がする。

今朝、近所のマンモス公園の近くを散歩していたら、小さな張り紙があった。

「ここの張り紙をおごとわり」と手書きでかいてある。界隈には東北出身の人が多い。「犬の糞おことわり」と同じようなクレームの張り紙だけど、なんだかほっとした。

昔、石巻の雄勝を旅したとき、雄勝硯を買ったことがある。

いつもこのPCを置いてある般若くんがつくってくれた神代楢の文机の下の黒い漆の硯箱に入っている。その時に買ったお店の女将さんが、「徒町(おかちまち)というのは、東北弁だと「おがつまち」なんですよ」と教えてくれたことを思い出した。

一筆啓上仕り候。今では、ホオジロの専売特許みたいになったけど、ときどきは手書きで親や友だちに手紙を書いてみよう。気持ちがこもったものが、伝わっていく。

5月15日は「墨田ぶらり下町音楽祭」 仕事もお祭りも、続けていくことはたいへんなことだ。

でも みんなで力をあわせて、何かをなしとげていくことほど、自分の 存在がわかるときはない。

 
人は、人のお役にたって、その人が喜ぶ姿の中にだけ、自分の存在を感じる動物らしい。

                 天恩感謝・野村拝