2011/06/01(780) 『梅雨に入るのもはやいけど、・・・ 』

梅雨に入るのもはやいけど、光陰矢のごとしで、今日から6月。水無月だ。

旧暦の6月は夏のころで、水が無い月。

原発事故が、なかなかおさまらなくて、これから飲む水なんかも心配だ。

昨日は「ねっと31」という新しくて古い企画をやってみた。

 
震災の1日前、3月10日に「ネット21」の人たちと新宿で飲んだ。気のおけない仲間と酒を飲む。こんなに楽しいことはない。そこで、「31」がある月の31日に会おう、ということになった。

京都では、晦日には「きらず」を食べる。きらなくて食べれる「おから」のことだ。人の縁を切らない、また来月も縁ある人たちとうまくやっていけますように、との縁起からきたものらしい。

 
大晦日に「年越し蕎麦」を食べたり、引越しの時に「引越し蕎麦」を食べるのも、そばの「つなぎ」を大切にしてきた江戸の文化でもある。そんな意味では、31日に「蕎麦」を手繰るというのは、日本人らしい行事だ。

次は8月31日(7月は続くので、そうした)。その次は10月31日。

その次が12月31日。

その日に縁のある人が、くればいい。

昨日は副理事長だった林さんが料理を担当。相変わらず、包丁さばきがみごとで、やさしさ、慈しみ深い料理が並んだ。

 
「日替わり店長」をやってもらったら、きっとぼくがやるより繁盛しそうだ。

国貞雅子さんが、ジャズの弾き語りをやってくれた。天真庵の一周年記念に、吉若さんが、「栄ちゃんにジャズをプレゼントするバイ」といって、荒武くんというピアニストがやってきて、ライブをやった。その縁で国貞雅子も時々ライブをやってくれる。ビデオにも撮ったけど、ワカが興奮して、「天真庵をニューヨークにつくろう。ピアノはみんなでカンパしよう」みたいなことになった。

その声をうわさで聞いた近所の人が、「うちの母が使っていたピアノでよかったらいいませんか」という話をくれ、カイザーのピアノがやてきた。

それから赤松林太郎くんや、N響の山根さんたちが演奏したり、ジャズの人たちもあまた集まってくるようになった。

ニューヨークで活躍していたkazuko babaさんと国貞雅子さんがライブをやった時に、やまねさんがお客さんとしてやってきた。

その時に国貞さんが「○○先生をしっていますか?」とう質問をして、ふたりの音楽の恩師が同じことがわかった。7月に天真庵でソロライブをやる大石学さんも、やまねさんの高校のひとつ先輩で、仰げば尊しのわが師の恩が、同じ先生だった。

「無駄のない縁」とは、こうゆうことをいうのだろう。

今朝は、昨日飲みすぎて、少し頭が痛かったけど、奥多摩の山の中の「湧き水」を汲みにいって、温泉につかってきた。

 
3月から週休二日にしたので、休日は「田舎」で過ごしている。

 
人生も水商売みたいに、無常というか、たよりなく、心配なことも多いけど、大いなる自然の神さまにときどきはよりかかって、「けせらせら」と流れにさからわず、生きていければいい。

 
いろいろなことがあるし、だから人生だけど、それもまた楽し。

                                                                 感謝・野村拝