梅雨に入るのもはやいけど、光陰矢のごとしで、今日から6月。水無月だ。
旧暦の6月は夏のころで、水が無い月。
原発事故が、なかなかおさまらなくて、これから飲む水なんかも心配だ。
昨日は「ねっと31」という新しくて古い企画をやってみた。
震災の1日前、3月10日に「ネット21」の人たちと新宿で飲んだ。気のおけない仲間と酒を飲む。こんなに楽しいことはない。そこで、「31」がある月の31日に会おう、ということになった。
京都では、晦日には「きらず」を食べる。きらなくて食べれる「おから」のことだ。人の縁を切らない、また来月も縁ある人たちとうまくやっていけますように、との縁起からきたものらしい。
大晦日に「年越し蕎麦」を食べたり、引越しの時に「引越し蕎麦」を食べるのも、そばの「つなぎ」を大切にしてきた江戸の文化でもある。そんな意味では、31日に「蕎麦」を手繰るというのは、日本人らしい行事だ。
次は8月31日(7月は続くので、そうした)。その次は10月31日。
その次が12月31日。
その日に縁のある人が、くればいい。
昨日は副理事長だった林さんが料理を担当。相変わらず、包丁さばきがみごとで、やさしさ、慈しみ深い料理が並んだ。
「日替わり店長」をやってもらったら、きっとぼくがやるより繁盛しそうだ。
国貞雅子さんが、ジャズの弾き語りをやってくれた。天真庵の一周年記念に、吉若さんが、「栄ちゃんにジャズをプレゼントするバイ」といって、荒武くんというピアニストがやってきて、ライブをやった。その縁で国貞雅子も時々ライブをやってくれる。ビデオにも撮ったけど、ワカが興奮して、「天真庵をニューヨークにつくろう。ピアノはみんなでカンパしよう」みたいなことになった。
その声をうわさで聞いた近所の人が、「うちの母が使っていたピアノでよかったらいいませんか」という話をくれ、カイザーのピアノがやてきた。
それから赤松林太郎くんや、N響の山根さんたちが演奏したり、ジャズの人たちもあまた集まってくるようになった。
ニューヨークで活躍していたkazuko babaさんと国貞雅子さんがライブをやった時に、やまねさんがお客さんとしてやってきた。
その時に国貞さんが「○○先生をしっていますか?」とう質問をして、ふたりの音楽の恩師が同じことがわかった。7月に天真庵でソロライブをやる大石学さんも、やまねさんの高校のひとつ先輩で、仰げば尊しのわが師の恩が、同じ先生だった。
「無駄のない縁」とは、こうゆうことをいうのだろう。
今朝は、昨日飲みすぎて、少し頭が痛かったけど、奥多摩の山の中の「湧き水」を汲みにいって、温泉につかってきた。
3月から週休二日にしたので、休日は「田舎」で過ごしている。
人生も水商売みたいに、無常というか、たよりなく、心配なことも多いけど、大いなる自然の神さまにときどきはよりかかって、「けせらせら」と流れにさからわず、生きていければいい。
いろいろなことがあるし、だから人生だけど、それもまた楽し。
感謝・野村拝