悪友をもじってペンネームにした阿久悠さんの記念館が母校の明大の中にできたらしい。そんな記事が朝日新聞にのっていた。
同じ明大で悪友のような親交があったヨネクラボクシングジムの会長の会報に、訃報がのっていたとき、「家族や友だち、いろいろな人をみおくったけど、今回は初めて泣けた」という記事が印象的だった。
記念館の玄関には、彼のこの詩がかかれてあるという。
夢は砕けて 夢を知り
愛は破れて 愛と知り
時は流れて 時と知り
友は流れて 時と知り
噛み締めれば噛み締めるほど味わいがある。
昨日は休みだったけど、漆の展覧会の最終日だったので、のんびりとかまえて、久しぶりに好きなエッセーなんかを読みながら珈琲を飲んでいたら、お客さんが普通に入ってきて、そばや珈琲を注文される。初めてそうなお客さんには「来週も再来週も、水曜日は休みです」といいながら、のんびりと、営業していた。でも2時過ぎには蕎麦が売り切れた。
夕方には、木曾から巣山さんたちが搬出にやってきた。漆の作品が、マチからヤマに帰っていく。お祭りの後は、一抹の寂しさがつきものだ。リハーサル中のチェロの竹本聖子さんと、ピアノの野代奈緒さんがバッハの3つのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタを弾いていた。
「終わりは始まり」だというイメージにピッタリな感じだった。
7時半になり、そのバッハが、始まりの曲だった。すこし肌寒い晩秋を思わせる空気の中に、ふたりの息のあったバッハが静かにゆらいでいく。
目をつむっていると、別世界へ誘っていかれそうな気持ちになる。
第二部はショパンで、みんなが哲をしながら詩人にでもなったような気分になり、アンコールで聴いたバッハのアリオーソで、それぞれの人生に涙した。
ほんとうに人生というのは、いろいろなことがあり、絶望や悲しみに打ちひしがれる時やまさかの時があり、この2011年は、この星に生きている70億の人にとっても、忘れがたき年になった。
でも「終わりの始まり」ではなく「終わりは始まり」になるように、生きている間は、元気に生きていきたいものだ。
感謝・野村拝