「ホクレア」の店主・ろくさんが旅立った。
洒落にもならないけど、63で逝った。鹿児島生まれ。またひとりいい「にせどん」(鹿児島弁でいい男)が逝った。
ろくさんは、天真庵を改装しているころ出合った。それまではあかの他人で、その他人がよそからきて古い家を改装しているよそもののぼくに、「古い木材を持っているのでつかって」と、木材をくれた。
玄関から入ったところの床の木は、その木が貼られている。
聞くと、「将来、お店をやろうと思って持っていたのだが、違反して運転免許がなくなり、しばらく仕事ができそうにないので、同じようなことを実現させようとしている君にあげる」という理由だった。
なるほど聞いていると、理屈
はとおるけど、50年も生きてきたけど、そんな親切な「他人」はあまりみたことがなかった。
今もって、そんな親切な人はみたことがない。
一昨年にろくさんは肺がんが見つかり、病院で手術をした。
無事に手術がおわり、退院してきたとき、天真庵で「ろくさんを励ます会」をやった。まだ咳がでていたけど、ギターを弾きながら、何曲か歌ってくれた。
彼は長いこと、銀座のバーで歌っていたことがある。夢を語りかけるような味のある歌を歌う。
その後、bunkanの斜め向こうの明治通りに、「ホクレア」という居酒屋をつくった。
彼の長年の夢がかなった。ホクレアとは、ミクロネシアあたりの木造のカヌーの名称で、初めてハワイ島を発見したのもホクレアにのった旅人だということだ。
うちにきて、「ルービ!」と業界人ぽく注文し、目を輝かせながらhビールを飲み、「ホクレア」の夢を語っていた。
2週間前に、一度店にきた。もう「ルービ」は飲めず、蕎麦を所望した。
咳がでてときどきつらそうだったけど、蕎麦を手繰り、おだやかな顔で、「人間いつか旅の途中で死ぬんだよね。でもそれまでは生きているんだし、死を恐れたり、あきらめたりしてはいけないんだよ」と笑顔でいった。
最後の言葉になった。昨日亡骸になったろくさんの顔を見ていると、同じ言葉が聞こえてきた。当たり前の理屈だけど、金言のような味わいがある。
すこし短い人生だったけど、夢をいつも追い続ける旅人として、まっとうした素晴らしい人生だった。
合掌・野村拝